創世の神を迎えし聖地 後編

沖縄の南部エリアには、沖縄開闢(かいびゃく)の祖である「アマミキヨ」にちなむ場が点在している。そんなアマミキヨの伝説を追いながら、この地で生き続けている聖地をめぐる。

Photo Masahiro Goda  Text Izumi Shibata

沖縄の南部エリアには、沖縄開闢(かいびゃく)の祖である「アマミキヨ」にちなむ場が点在している。そんなアマミキヨの伝説を追いながら、この地で生き続けている聖地をめぐる。

沖縄、玉城グスクの城門から見える絶景
玉城グスクの城門から見える絶景。写真の左側の海のかなたにかすかに見えるのが久高島。アマミキヨが渡り来たとされる、沖縄に数ある聖地の中でも特別な場だ。

巡礼の道、アガリウマーイ

さて、アマミキヨの伝説はいつしか琉球王朝の王家を含む多くの人々の間で信仰されるようになり、国家安泰や五穀豊穣をつかさどる、いわば現実的な神としても祈りを捧げられる存在となった。

その一方で、沖縄では古来太陽の昇る東方を「あがり」と呼び、聖なる方角とする信仰があった。アマミキヨの出身地を東の海にある理想郷、ニライカナイとする考えも、この信仰と関連している。

こうした状況で生まれたのが、アマミキヨにちなんだ数々の聖地をめぐる「東御廻り」だ。その起源は、15世紀に沖縄を統一し、初代琉球国王となった尚巴志による巡礼だと考えられている。東御廻りの道程は、首里城内にある御嶽に発し、斎場御嶽、ヤハラヅカサなどをまわり、玉城グスクに至るというもの。全部で14カ所の聖地をめぐる。

巡礼の最終地である玉城グスクは、沖縄本島の南東部、東海岸に面した高台の上に築かれた城。ここは「太陽の門」で知られている。

玉城グスクでは、今も残る城壁のとある箇所に、人が通れるほどの大きさの穴がぽっかりと開く。これが城門だ。この城門には夏至の日の日の出の時、朝日がまっすぐ差し入る。まさに東御廻りの最終地、太陽に向かって最後に祈りを捧げる場にふさわしい。

そしてこの城門から東を見下ろせば、東の海を望む絶景が広がる。アマミキヨが降り立った伝説の島、久高島もその中にある。

琉球国王も参じた、アマミキヨにゆかりがある地をめぐる旅に引きつけられるのは、いにしえの人だけではない。今現在も、癒やしとパワーを求める人たちが数多く訪れる。沖縄南部のこの地には、そうした聖なる力にあふれている。

※『Nile’s NILE』2021年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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