YMOという記憶

雑誌編集者の根本恒夫さんは、YMOのL.A.公演に日本からの唯一の取材媒体として同行するなど、結成当初から行動を共にしていた。彼の貴重な証言を伺おう。

Text Tsuneo Nemoto

雑誌編集者の根本恒夫さんは、YMOのL.A.公演に日本からの唯一の取材媒体として同行するなど、結成当初から行動を共にしていた。彼の貴重な証言を伺おう。

1978年12月 横尾忠則さんと細野晴臣さんの対談。『GORO』79年1月25日号に掲載
YMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』が1978年11月25日リリースされて間もない12月、横尾忠則と細野晴臣の対談が行われ、『GORO』79年1月25日号に掲載された。
細野は、横尾のインド旅行に同行した経験をもとに制作した78年のアルバム『COCHIN MOON』を横尾との共同名義でリリースするなど交流を深め、横尾をYMOのメンバーに迎える構想もあったが、実現しなかった。この記事をきかっけとして、『GORO』編集者だった筆者は、YMOとの親交を深めていく。

私にとって、すべては成城学園の中華料理店マダムチャンで1978年12月に行われた「クロスオーバー対談 横尾忠則 VS 細野晴臣(『GORO』79年1月25日号)から始まった。
この対談がきっかけで、急きょ決定したYMOのL.A.グリークシアター公演に日本からの唯一の取材媒体として『GORO』誌が選ばれたのである。
それを一般誌としてはめずらしい4ページのカラー記事にしたことがアルファレコードから望外の評価を受け、80年の秋からの第2次世界ツアーの全行程の取材OKという特別な待遇を受けることになり、それがYMOの初めての写真集『OMIYAGE』につながった。

メンバーとも親しい関係が持てるようになり、光栄なことに“散開”の表明の媒体に選ばれたのも『GORO』誌であった。
写真集『SEALED』と映画『PROPAGANDA』のパンフレット製作をもってYMOとの関係は、一応終了したのだが、その後もその周辺との濃密な関係は継続した。まるでジェットコースターに乗ったような10年間であった。

私見では、YMOのライブの頂点は、最初の本格的ライブであるL.A.野外のグリークシアター公演だったと思われる。何と彼らは、最初にすべてをやり尽くしてしまったのである。それは、グリークシアターの観衆にとっても、YMOにとっても、無論私にとっても、全く新しい衝撃だった。

YMOはこの公演に、当時大人気のエロティックで演劇的なハードロックバンド、チューブスのスペシャルゲストとして出演した。観客はチューブスを聴きに来たのであり、コンピューターの均等なリズムに乗った“テクノポップ”を予想・期待している者は、誰一人いなかったハズである。
そんな観客に対してYMOは、MCもせず、理解を求めず、どちらかと言えば、よそよそしく素っ気ない態度で、壁のように並べられたシンセサイザーの前に立ち、当然のごとく演奏を始めたのである。夕暮れの野外の会場はまだ薄明るく、前座には興味がない観客たちがザワつきながら、通路を行き来していた。どこからともなくマリファナの香りが立ち上ってきて、見ず知らずの隣客から、幾度となくジェファーソンエアプレイン(短くなったマリファナを楊枝に突き刺して、最後まで吸えるようにしたもの)が回ってきた。

当時はまだ動作が不安定だったシーケンサー(自動演奏装置)と、まだモノフォニックだった巨大なシンセサイザーをステージに持ち込み、コンピューターと演奏を同期させるという世界で初めての試みに対するプレッシャーはかなり大きく、演奏開始時のYMOは極度の緊張感に包まれていた。

しかし、サポートメンバーの矢野顕子、渡辺香津美を含め演奏者としても超一流である彼らにとってその緊張感はプラスに作用した。演奏が進み緊張感が溶けていくにしたがって、グルーブのないノリは最高潮に達し始めていた。宵闇が迫る中、全く新しい音楽が観客に浸透し始めた。ざわついていた客席は次第に静まりかえり、今、そこで生まれたばかりの音楽への集中度が高まっていった。

演奏が終わった時、その静寂が爆発しアンコールを求める大歓声に変わり、異例のアンコールが前座に許されたのであった。その曲は『Tong Poo』。
細野晴臣の当初の目論見(もくろみ)はこうだった。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。