「日本料理の本物」とは

ある時期は最先端の調理技術を追求し、またある時期は医療の世界からインスピレーションを得た。そして今は、「日本の自然環境の豊かさを、料理によって表現する」ことを最優先する。山本征治氏は常にエネルギッシュに、そして論理的に料理と向き合い続ける。

Photo Masahiro Goda  Text Izumi Shibata

ある時期は最先端の調理技術を追求し、またある時期は医療の世界からインスピレーションを得た。そして今は、「日本の自然環境の豊かさを、料理によって表現する」ことを最優先する。山本征治氏は常にエネルギッシュに、そして論理的に料理と向き合い続ける。

冬といえば蟹。ハッピーな時もそうでない時も!

今回紹介する料理(次ページ)は、メスの松葉がにであるセイコ蟹を使った一品です。

実は龍吟では、冬のごちそうである松葉がにには並々ならぬ力を入れています。松葉がにや越前がにの産地では、特別品質の蟹にタグをつけてブランド化していますが、龍吟でもオリジナルの「龍吟タグ」を作成。鳥取県の境港の水産業者にお願いして、オスもメスも、水揚げされた中で「これぞ」という大きさ、質のものにこのタグをつけて送ってもらっています。

さて、今回の料理のセイコ蟹は、ゆでてからさばき、部位ごとに必要な手間をかけてから盛り合わせる、というものです。具体的には、ミソで和えた内子を器(セイコ蟹の殻から型を取り、錫製であつらえています)に盛り、ほぐし身、丸くとった外子をのせ、脚を並べる、というもの。

工程は「ゆでる」「さばく」「ほぐす」「和える」「盛り付ける」とシンプルですが、それぞれで最適な具合をピンポイントで成し遂げることが大事。細部まで理にかなった、味も姿もインパクトのある料理に仕立てます。

盛り終えたら蒸し、熱々の状態に江戸切子製のドームをかぶせて提供。ドームを外すと蟹の香りが立ち上り、整然と並ぶ蟹のビジュアルが現れるという演出です。

伝統工芸品には細やかさ、気品、迫力がある

伝統工芸品は、料理と同じく日本の誇りです。私は積極的に各地の作家のもとを訪ね、議論を重ねて特別あつらえの器を作っています。今回のセイコ蟹の料理でも、蟹を盛り入れた錫(すず)の器、蟹の蒔絵を施した輪島塗の盆、江戸切子のドーム、いずれもデザインから意見を交わして作ってもらったものです。

作家のもとを訪れるたびに、彼らの技術には心底感嘆します。例えば錫の器は、セイコ蟹から型を取り、そこから形を起こして作ったもの。蟹の細かい凹凸まで精緻に再現するこの技術、すばらしいと思いませんか? こうした仕事は、もっと広く知られるべきだと思うのです。

そもそも、日本人は日本の伝統工芸品を知らなすぎます。どうやって作られるのか? それ以前に、どんな種類のものがあるのか? 少なくとも当店のスタッフには、そうした伝統工芸品に関する基本的な知識は身につけてもらいたく、厨房の一角にあるモニターでは、さまざまな伝統工芸品を作る模様を撮影したドキュメンタリー映像を流しています。そしてお客様には器から、作家さんたちの技、日本の伝統技術が作り上げる細やかさ、気品、迫力……そういったものを感じ取ってほしいと思っています。

今年始めたダイビング

今年の3月から始めたダイビングに、今はすっかりハマっています。きっかけは、当店の料理長の小澤(武夫氏)の「もう、海外でのレストランめぐりはしなくていいのでは? たまにはビーチでくつろいで、ゆっくりしてください」という一言。

確かに、と思ってハワイやモルディブに行くうちに、きちんと海に潜るともっと楽しいだろうな、と思うように。それで3月に資格取得を申し込み、以降、休みごとに日帰りで伊豆や千葉の海に出かけて猛特訓。今、10個ほどのライセンスを持っています。

龍吟、山本征治氏の趣味

やはり、体を動かすのはいいですね。その日はとてもよく眠れます。そしてビールがおいしい(笑)。海の中は魚がかわいく、エイもダイナミック。別世界です。空を飛ぶような浮遊感も感動的。仕事の時とは完全に脳が切り替わります。

来年は、プロテストに挑戦しようかと思っています。でも、学科試験が大変。ライセンスを取るために、ソムリエ試験以来の勉強をしています(笑)。

1 2
ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。