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ひがし茶屋街
往時の風情を残す、ひがし茶屋街。城下中心地から浅野川大橋を渡った場所に、川沿いに立ち並んでいた茶屋を集め1820(文政3)年に整備された。よく整った出格子が美しい。 -
(左)ひがし茶屋街の中央通り。ひがし茶屋街は金沢三茶屋街の中でもっとも大きく、現在は営業する茶屋は5軒、13名の芸妓(げいぎ)が活躍する。
(右)懐華樓の座敷。懐華樓は、ひがし茶屋街で最大の広さを持つ。昼間は内部を見学者に開放し、夜は茶屋として営業している。 -
(左)主計町茶屋街。市街中心部から浅野川大橋を渡るすぐ手前にあり、川沿いに古い街並みが続く。桜の時季の景色も格別。
(右)主計町(かずえまち)茶屋街と隣の高台とのと間には階段がある。かつて茶屋街への行き帰りの客が顔を合わせないように階段を2本作った。この坂は作家の五木寛之が「あかり坂」と命名。
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(左)にし茶屋街の検番。稽古場でもある、芸妓の事務所のような場所。なお、にし茶屋街は金沢の三茶屋街でもっとも芸妓の数が多い。
(右)にし茶屋街。ひがし茶屋街と同じ1820(文政3)年、同じ経緯で、城下中心地から犀川大橋を渡った場所に整備された。今も営業する古くからの茶屋が多い。 -
(左)西茶屋資料館。作家の島田清次郎が小説『地上』の舞台とした「吉米楼(よしよねろう)」跡に当時の造りを再現。2階は座敷などを開放する。
(右)泉鏡花記念館。鏡花の生家跡にある。主計町茶屋街に隣接する高台に立地。鏡花はここから坂を下り、茶屋街を通り抜けて通学した。