記憶に残る美しい風景

まるで手の親指を日本海に突き出したような形をしている能登半島。三方を海に囲まれているため、陸から眺める海は果てしなく広がる。その海と独特な地形が織り成す風景は、実に美しく、実に能登らしい。豊かな自然、独自の風土や文化が色濃く残るこの地を、元日に大地震が襲った。これまでに本誌が取材した記憶に残る風景を紹介したい。

Photo Masahiro Goda  Text Nile’s NILE

まるで手の親指を日本海に突き出したような形をしている能登半島。三方を海に囲まれているため、陸から眺める海は果てしなく広がる。その海と独特な地形が織り成す風景は、実に美しく、実に能登らしい。豊かな自然、独自の風土や文化が色濃く残るこの地を、元日に大地震が襲った。これまでに本誌が取材した記憶に残る風景を紹介したい。

  • 特集能登半島、記憶に残る美しい風景、ひがし茶屋街 特集能登半島、記憶に残る美しい風景、ひがし茶屋街
    ひがし茶屋街
    往時の風情を残す、ひがし茶屋街。城下中心地から浅野川大橋を渡った場所に、川沿いに立ち並んでいた茶屋を集め1820(文政3)年に整備された。よく整った出格子が美しい。
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    (左)ひがし茶屋街の中央通り。ひがし茶屋街は金沢三茶屋街の中でもっとも大きく、現在は営業する茶屋は5軒、13名の芸妓(げいぎ)が活躍する。
    (右)懐華樓の座敷。懐華樓は、ひがし茶屋街で最大の広さを持つ。昼間は内部を見学者に開放し、夜は茶屋として営業している。
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    (左)主計町茶屋街。市街中心部から浅野川大橋を渡るすぐ手前にあり、川沿いに古い街並みが続く。桜の時季の景色も格別。
    (右)主計町(かずえまち)茶屋街と隣の高台とのと間には階段がある。かつて茶屋街への行き帰りの客が顔を合わせないように階段を2本作った。この坂は作家の五木寛之が「あかり坂」と命名。
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    (左)にし茶屋街の検番。稽古場でもある、芸妓の事務所のような場所。なお、にし茶屋街は金沢の三茶屋街でもっとも芸妓の数が多い。
    (右)にし茶屋街。ひがし茶屋街と同じ1820(文政3)年、同じ経緯で、城下中心地から犀川大橋を渡った場所に整備された。今も営業する古くからの茶屋が多い。
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    (左)西茶屋資料館。作家の島田清次郎が小説『地上』の舞台とした「吉米楼(よしよねろう)」跡に当時の造りを再現。2階は座敷などを開放する。
    (右)泉鏡花記念館。鏡花の生家跡にある。主計町茶屋街に隣接する高台に立地。鏡花はここから坂を下り、茶屋街を通り抜けて通学した。
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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。