オーバーグルメイズム2

食語の心 第121回 柏井 壽

食語の心 第121回 柏井 壽

オーバーツーリズムという言葉がメディアをにぎわせるようになってから久しいが、食の世界でも同じようなことが起きている。「京都の人気割かっぽう烹に京都人は行けない」

コロナ禍以前からそういう傾向があったが、コロナ後はますますその傾向が顕著となってきた。京都人が京都市バスに乗ろうとすると、満員の観光客で乗れないのと同じ構図である。京都は以前から長く観光都市であるから、今に始まったことではないだろうと思われがちだが、むかしはそんなことはほとんどなかった。

ではなぜ最近になって、こんな事態になったかと言えば、過度な集中である。かつては観光地も飲食店も、適度にバラけていたが、今は一部に人気が集まり過ぎているからなのだ。観光地でいえば「清水寺」と嵐山、嵯峨野。京都に来たら必ずここに行かなくては、とばかりに観光客が集中し、そのアクセスとなる市バスや電車は終日大混雑となり、京都人は乗れないのだ。

と同じように、人気割烹などは、早くから予約をする美食家たちに席を占領され、京都人が入り込む余地がなくなってしまった。そしてそれを誘発しているのが当事者だという点でも、オーバーツーリズムとオーバーグルメイズムはよく似ている。

観光地でいえばライトアップ。ただでさえ混んでいる「清水寺」がライトアップすれば、さらなる人出は必至なのだが、あえてそれを決行する。結果、昼だけでなく夜になっても京都市バスは満員通過となる。

飲食店も同じだ。満席が続く店なのに、何度もメディアに登場し、よりいっそう予約が取りづらくなる。そして飲食店の場合、これに拍車をかけるのが、美食家を自任するグルメたちなのだ。

これ見よがしに、予約困難な店に行ったことを自慢するのが、美食家たちの習いとなって久しい。京都を訪れて人気店をハシゴし、店の主人や女おかみ将と親しげな写真を撮り、それをSNSに投稿する。その投稿を見たひとたちが「いいね!」とコメントすると、してやったりとなる。こんな図式の繰り返しによって、今の人気店は支えられている。

それらの投稿の最大の特徴が「盛り過ぎ」だ。これでもか、これでもか、というくらいに褒めちぎる。なぜかと言えば、件くだんの店の主人や女将がその投稿を読んでいるからである。それが証拠に真っ先に、「ご来店ありがとうございました」と店からのコメントが入る。何ほどの緊張感もなく、言わばなれ合いなのだが。

こうして過剰評価された店は、一部の美食家によって人気を高めるのだが、一般人がやすやすとその評価を信用するのは、その料理について、美辞麗句を駆使し、詳細に語るからである。どこそこ産の食材を、著名な卸し商が念入りに手当てをし、それを□日かけて熟成させ、○度で▽分調理した料理である。料理人がそう書くのなら分かるが、料理を食べた美食家が書くのだから、それはただの広報なのだが、一般人はそこに気付かない。

以前にもこのコラムで書いたが、今のグルメブロガーやグルメライターと呼ばれるひとたちは、取材と称して料理人から聞き取りをしたことを、そのまま記事にする。つまりは検証することなく、料理人の言い分を鵜う呑のみにするのだから、今風に言うならエビデンスがないわけだが、あたかもそれが真実であるかのように、まかりとおってしまう。

おいしいものを食べるのは、人生の大きな愉たのしみなのは間違いない。だがそれは身の丈に合ったものでなければならない。それは個々の暮らしという面でも、大きく言えば地球という観点からみても、大切なことだ。

SDGsのなかに、「海の豊かさを守ろう」「陸の豊かさも守ろう」という目標がある。ここで言う豊かさとは、現状を維持するという意でもあるのだが、飛行機や電車、車に乗ってわざわざ遠方まで出掛け、希少な食材を食べに行くのは、その意に反しているのではないだろうか。身近な食にこそ豊かさがひそんでいて、そこに価値を見いだし、ありがたく感謝しながら食べることを範とすべきなのである。

一部の美食家たちの過度な賛美によって引き起こされる、オーバーグルメイズムに警鐘を鳴らすのも、メディアの役割なのではないだろうか。


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柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2024年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。