日本の無形文化遺産

食語の心 第10回 柏井 壽

食語の心 第10回 柏井 壽

食語の心 第10回

ユネスコの無形文化遺産として〈和食〉が登録され、日本の外食産業が大きなにぎわいを見せている。

京都の料理人たちが尽力したせいか、関西ではニュースやワイドショーで、頻繁にこの話題が取り上げられる。が、その内容はと言えば千差万別。映し出される料理がまるで正反対だったりする。その原因は、一にも二にも、〈和食〉の定義が曖昧だからである。

京料理の研究家としても知られるある民族学者は、〈一汁三菜を基本としながら、おせち料理に見られるような行事食を加味し、郷土色が濃く表れた、日本ならではの料理〉をして〈和食〉であると定義した。

一方で京都を代表する料理人は、〈トンカツもたこ焼きも、日本で生まれた料理はぜんぶ和食や〉と言い切った。さらにはカレーやラーメンなど、日本で発祥国とは違う形に発展した料理も〈和食〉だと言う。

一汁三菜とラーメン。これほどに次元の異なる料理を包括して〈和食〉と言うなら、そもそも〈和食〉とは何なのか、と大きな疑問が湧く。
ニュースが報じられて、半月以上経っても、誰もが〈和食〉をきちんと定義付けようとしないのは、日本人特有の曖昧さゆえのことなのか。

民間はさておき、日本国としての統一見解はあるのかと調べれば、農林水産省は〈『自然を尊ぶ』という日本人の気質に基づいた『食』に関する『習わし』が「和食」〉という見解を表しているが、〈あくまで目安として〉との但し書きが付記されているようだから、確たる定義とは言えない。

今回の件で注目を浴びることになった、ユネスコの無形文化遺産が、日本ではこれまでに、20余りが指定されている。
歌舞伎、能楽、人形浄瑠璃、雅楽など、日本人なら誰もが納得できるものばかりだ。
あるいは、祗園祭、アイヌ古式舞踊、秋保(あきう)の田植踊など、明確に地域を限定して指定されている。22番目となった〈和食〉の曖昧さは極めて特異である。
なぜ〈和食〉と言わず、〈日本料理〉としなかったのかと悔やまれる。さすれば誰もが納得できたはずなのに。

混同される向きも少なくないが、〈和食〉と〈日本料理〉は、一般的に別物である。広義の〈和食〉の中核をなすのが〈日本料理〉といったところだろうか。

一般には、〈日本料理〉と言えば、料亭や割烹などの料理屋で出されたものと思われている。一方で〈和食〉は肉じゃがや味噌汁、きんぴらなどの、所謂おふくろの味を思い浮かべる向きが多いようだ。当たらずといえども遠からず、だろう。

つまりは日本ならではの食を包括して〈和食〉。その中で伝統に則った格式ある料理が〈日本料理〉と区別されるのが一般的だ。
だがこれが、ひと度海外に出るとまた違ってくるから厄介だ。お好み焼きや鉄板焼き、うどん屋から焼き鳥屋に至るまで〈日本料理店〉となってしまうからである。

縷々、疑問を述べてきたが、それらはさておき、日本の〈食〉は世界に誇るべきものであることは疑う余地がない。世界各国、それぞれに固有の料理はあるだろうが、我が日本においては、それらとは些か趣を異にする特色がある。

和食、あるいは日本料理、どちらの言葉を使ってもいいのだが、四季の移ろいと料理が、これほど見事にシンクロする料理は、他国にはないだろうと思う。

以前にも記したように、食材の旬を大切にしながら、走りや名残も、時に応じて珍重するのが日本ならではのこと。
初ガツオ、新ジャガ、土用鰻(どよううなぎ)などは季語として、その時期になると広く語られ、文学に彩りを添えるまでに至る。

ここで着目したいのは、言葉の持つ力。言い換えるなら言霊という、日本ならではの発想だ。

初ガツオといえども、鰹(かつお)であることに変わりはない。だが初が付くだけで、特段の味わいを感じてしまう。
あるいは土用鰻も同じ。いかに江戸の名コピーライター、平賀源内の言葉があったとは言え、盛夏の一日に、日本中で多くの人々が鰻に舌鼓を打つというのは、考えてみれば摩訶不思議な話である。鰻は取り立てて夏が旬というわけではない。ただただ夏バテを防ぐという目的のために、同じ日に、北から南まで、日本人がこぞって鰻を食べる。

江戸時代に始まった民間信仰、風習が200年を経た今も、衰退どころか、ますます盛んになる一方、特に近年は鰻が高騰し、決して手軽とは言えない金額なのに、だ。

こんな国はきっと、世界中探しても他に無いだろう。これこそが無形文化遺産なのだ。続きはまた次回に。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2014年2月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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