オーバーグルメイズム

食語の心 第120回 柏井 壽

食語の心 第120回 柏井 壽

コロナが5類に移行し、日常が戻るとインバウンドが勢いを取り戻し、外国人観光客が日本中にあふれ始めた。宿泊施設を始めとして、観光業に携わる人たちにとっては朗報なのだろうが、一般人にとっては複雑な心境にならざるを得ない、というのが偽らざるところだ。オーバーツーリズムと呼ばれるように、観光客が一般市民の生活を脅かす事態に陥ってしまった。

ぼくが住まう京都などはその極みであって、多くの市民は少なからぬ被害を被っている。最大の問題は公共交通機関。京都市バスの混雑ぶりは目を覆うばかりで、観光客に占領されて、京都市民が乗れない路線も少なくない。仮に乗れたとしても、大きなバッグが通路をふさぎ、足の不自由な高齢者などは、乗降に苦労している。京都市営地下鉄も似たようなもので、通勤ラッシュのような満員電車で座ることもままならず、なんのための優先座席かと憤慨している高齢者を見かけることもしばしば。やむなくタクシーを拾おうとしても、空車などまったく通りがからず、途方に暮れてしまう。こうして移動手段を奪われた多くの京都市民は、外出すらままならぬ状態を強いられているのだが、観光客誘致に躍起になってきた京都市は、解決策を見つけられず、ただ手をこまねいているのみ。

ならば、歩いて行ける近所で楽しみを見つけようと、近場の飲食店に行ってみると、思いもかけない光景に出合った。長年通っている店だが、こんな光景は初めて見かける。店の前に長い行列ができている。たしかにそれほど広い店ではなく、十二、三席しかないのだが、それでもたいてい一席や二席は空いていて、待つことなく食べられる店だったのに。いったい何が起こったのか。あまりの驚きに、店を間違ってしまったかと思ったほどだが、隣のタバコ屋の主人が謎解きをしてくれた。「1週間ほど前にテレビ番組に出はったんや。お笑いタレントがここに来て、餃子を食べるシーンが十分ほど映ったかなぁ。こんなうまくて安い餃子は生まれて初めてや、てべた褒めしとった。その次の日からもう、こんなありさまや。うちの前まで並びよるさかい、えらい迷惑や」

なるほど、テレビかと納得した。ずいぶんむかしの話になるが、テレビの旅番組の監修に携わっていたことがあって、その尋常ならざる影響力についてはよく承知している。番組で紹介した宿や店には、放送直後から問い合わせが殺到し、1週間ほどは電話が鳴りやまない、というのが通例だった。

当時に比べれば、テレビそのものの影響力は低下したが、それがSNSに伝播すると、爆発的な結果を生みだすのが今の時代だ。よほどの有名人でない限り、いくらSNSで隠れた店を紹介したとしても、さほどの影響はないが、テレビで紹介された、ということを付け加えると、一気に拡散する。それほどテレビの信用度が高い、のではなく、話題になる確率が一挙に上がるので、「行った自慢」「食べた自慢」ができるからである。かくして近所の中華屋さんも、当分の間は近寄れなくなってしまったのである。

これはこの中華屋さんに限ったことではなく、蕎麦屋さんから洋食屋さん、食堂に至るまで、今までふつうの店だったのが、テレビで紹介された瞬間から、特別な店になってしまい行列ができ、近所のなじみ客が入れなくなってしまうのである。

このあたりは、オーバーツーリズムとまったく同じ構図だ。外からの侵襲によって、内に居るものはなすすべもなくはじき出されてしまう。製作費を安くあげる意味もあるのだろうが、最近のテレビ番組はグルメバラエティーだらけだ。それも真摯に料理のなんたるかを追求するような、まともな番組ではなく、町の飲食店を安易に紹介するものばかり。そしてその最大の特徴は、手放しで絶賛することで、言ってみれば店宣伝なのだから、客が集まるのも当然のことである。

テレビで紹介され、長い行列ができているのだから、おいしい店に決まっている。そう思いこんだ客が列に並び、その成果をSNSに投稿する。かくしてふつうの店が一瞬にして、町の名店へと格上げされる。これをぼくはオーバーグルメイズムと呼ぶことにした。その弊害を次回くわしく述べようと思う。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2023年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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