客も店も神さまではない

食語の心 第108回 柏井壽

食語の心 第108回 柏井壽

食語の心 第108回

昭和から平成にかけて、「お客さまは神さま」という言葉が広く流布していた。
飲食業や宿泊業などのサービス産業において、客は神さま同然なのだから、何を言われても神の言葉だと思って従え、という流れがあった。

平成の終わりごろからは、少しずつその流れが変わり始めた。
カスハラという言葉が使われるようになり、カスタマーハラスメント、すなわち客が無理難題を強いることが、非難されるべき事象として解釈されるようになってきたのだ。
ここにきて、客は神さまではない、とようやくみんなが気付き始めたのである。

これに関してぼくは、30年前に初めて出版したエッセイ本から、「客は神さまにあらず」と、ずっと書き続けてきているので、今さら、という感がなくもないが、それでも、正常な関係が築かれるようになったことは歓迎すべきだと思っている。

長い間続いてきた「客は神さま」は醜悪な光景を生み出す。横暴な客が、店員を土下座させて謝らせている映像などが、再三流れるに至り、さすがに行き過ぎではないかという声が広がるようになった。

変わり始めた流れは勢いを増し、今度は一気に逆転してしまうのである。
予約の取れない店や、長い行列に並ばないとたどり着けない店が多く出現すると同時に、流れは完全に逆行してしまう。

「食べさせていただく」などという言葉が流布するに至り、店が神さまになり始めたのだ。
客が店をあがめたてるようになり、いかにして店と親しくなるか、行きつけの店と呼べるようになるか、を競い始め、その術を指南するひとまで現れるようになったのは驚くばかり。

主従逆転だ。

そもそも、行きつけの店などというものは、自然とできるものであって、意識して作るものではないはずだ。
ではなぜ、そうまでして、行きつけの店を作りたいかと言えば、一にも二にも店から特別扱いしてもらいたいからであろう。そしてそれをひとに自慢したいからに他ならない。

ここであらわになるのは、またしてもSNSの存在。
この人気店は自分の行きつけの店だ、とSNSで自慢したい。店主とは愛称で呼び合う仲だ。純粋にそうなりたい、というよりも、そう見せたいのだ。だから、いかにして行きつけの店にするかという早道指南をするような流れができてしまう。

もちろんお店の主人や女将(おかみ)、スタッフなどから好かれるのは悪いことではないし、嫌悪されるより好感を持たれるほうがいいに決まっている。しかしそれは自然とそうなるべきものであって、策を弄ろうして結果を早く得ようというものではない。

なぜかと言えば、それは媚びだからである。客が店に媚びてどうするのだ。むかしの食通ならきっとそう叱責したことだろう。客はいかにして店に媚びるか、など言語道断だと。
行きつけの店イコール特別扱いしてもらえる店、という意ではない。そこを勘違いしているひとが、いかに多いことか。

こうして、いつの間にか、客は神さまの地位から滑り落ち、一部の店は神さまになってしまったのである。
なぜその地位が逆転したかと言えば、店が門戸を狭め、入りづらくする商法で成功したからである。

そしてその商法を助長してきたのが、食通を自称する業界人たちだ。
何千軒だか何万軒だかを食べ歩いているだとか、一年に何軒取材しているだとか、数自慢の人たちによって持ち上げられた店は、信者たちによって神の地位に押し上げられる。
そうして持ち上げておいて、その店を行きつけとしている自分の地位も上げる。そんな仕組みによって、店が神さまになり、常連客は神の威光を笠に着て、得意顔になるのだ。

もてなしという言葉に象徴されるサービス産業は、目に見えないサービスを商いの礎として成り立っている。なればこそ、客と店はたえずフラットな立場でいなければならない。どちらが主でも、どちらが従でもないのは明らかだ。

しかしながら、サービスを受ける側、すなわち食べることや泊まることを生業(なりわい)にする、評論家と呼ばれるひとたちやブロガーなどが、店や宿に媚びることでその地位を築いてきたわけだから、当分のあいだこの流れは変わらないだろう。

客が神さまだというのは、いびつな関係だが、店が神さまになるのは、もっといびつなことだと早く気付いて欲しいものである。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2022年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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