格調高き大胆

江戸前鮨の基本からブレず、かつ、柔軟な姿勢と並々ならぬエネルギーで、独自の世界を築いている「鮨よしたけ」。主人の吉武正博氏は、東京・銀座のこの店のほか、香港でも「すし志魂」をオープンし、2都市でミシュラン三つ星を獲得するという快挙を成し遂げた。1月末に、同じ銀座内で移転をして、ますますの充実を見せる。

Photo Masahiro Goda

江戸前鮨の基本からブレず、かつ、柔軟な姿勢と並々ならぬエネルギーで、独自の世界を築いている「鮨よしたけ」。主人の吉武正博氏は、東京・銀座のこの店のほか、香港でも「すし志魂」をオープンし、2都市でミシュラン三つ星を獲得するという快挙を成し遂げた。1月末に、同じ銀座内で移転をして、ますますの充実を見せる。

技術に正面から向き合ってこそ、鮨屋

今回紹介した「煮アワビと肝のソース(次ページ)」は、当店のスペシャリテです。
煮アワビは、いたってシンプル。ただし素材の目利き、煮方、切り方という、一見単純でいて、けっしてごまかしのきかない技術の精度が問われます。こうした技術に正面から向き合ってこそ、鮨店のつまみなのだと思います。

一方のソースは、肝の香りと濃厚なコクが特徴です。6時間かけて作りますが、内容は秘密。肝の個性を引き立てつつクセを抑え、「濃厚でおいしい」と思っていただけるよう、試行錯誤して作りました。アワビにこのソースをお好みでつけて食べていただきますが、残ったソースには、ほんの一口のシャリを加えて差し上げます。そして、それを混ぜてリゾットのようにして食べるよう、お勧めします。フランス料理のソースをパンですくって食べるとおいしいでしょう? それと同じ感覚です。

今回写真を撮った握り(次々ページ)は、中トロ。細かく隠し包丁を入れ、マグロのなめらかな口当たりとともに、ホロリと崩れて酢飯と一体化する食感を楽しんでいただきます。なお、シャリに使う米は時間差で3回に分けて炊き上げ、途中から新しい酢飯を使う。よりおいしく召し上がっていただくための工夫です。

常にオープンな心で

鮨は要素の少ない料理なので、ストイックさや研ぎ澄まされた感覚は欠かせません。と同時に、オープンな感覚も失わないでいたいと私は思うのです。

私は1980年代の終わりごろの2年間、声をかけていただいて、ニューヨーク、マンハッタンのど真ん中の鮨店で働いていたことがあります。年齢は、20代の半ば。当時は、今のように握り鮨を食べる人なんていなかった。まさに、カリフォルニアロールの時代ですよ(笑)。
「あれっ? 勝手が違うな」と思ったのですが、拒否はしません。「これはこれで、文化かな」と思うタイプです。もともと、海外を見たいと強く思って渡ったニューヨーク。忙しいし、なかなか街を楽しむふうではありませんでしたが、充実はしていました。海外は大好きですね。

独立したのは2004年のこと。場所は六本木です。その後、憧れていた銀座に移り、2012年には香港に支店「すし志魂」をオープンしました。香港の店では、日本から航空便で素材を発送し、東京の店と同じ内容を準備しています。志魂の料理長とはいつも打ち合わせをしているので、細かい連携ができます。今はラインもあるので写真もすぐ送れるし、便利になったものです。

堺の伝説、池田辰男さんの包丁

カウンター仕事が、ある意味劇場のような役割を持っている鮨店。鮨を握る人の動きもまた、鮨店にくる醍醐味(だいごみ)なのです。

となると、包丁は、その舞台を演出してくれる道具です。とっておきの美しさ、華やかさを持つものを、カウンター用として秘蔵しています。

鮨よしたけ、包丁

今回撮影した中で、1本は以前から使っているもの。もう1本は、これから使おうとしているもの。いずれも、刀のように反った、独特の姿が特徴です。そして、刃紋で山の連なりが描かれ、よく見ると富士山と太陽も。柄は、緻密(ちみつ)な木目が美しい紫檀(したん)と象牙製。磨いた鋼の、鏡のようになめらかな刃とのコントラストも、美しいものです。包丁の鞘(さや)も、こだわって、紫檀で作ってもらいました。

もちろん、美しいだけではなく、切れ味も最高なのがこれらの包丁。なんといっても、堺の伝説の包丁職人、池田辰男さんの作ですから。まるで、刀のような存在感を備えています。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。