「すいか」の向こう側

大のすいか好きがすいかの小説を書いた。作家・江國香織さんによる『すいかの匂い』だ。「すいかの匂いには淡い悲しみが感じられる」と話す江國さんのすいかの世界とは。

Text Rie Nakajima

大のすいか好きがすいかの小説を書いた。作家・江國香織さんによる『すいかの匂い』だ。「すいかの匂いには淡い悲しみが感じられる」と話す江國さんのすいかの世界とは。

小説『すいかの匂い』より

すいかを食べると思い出すことがある。九歳の夏のことだ。母の出産のあいだ、私は夏休みを叔母の家にあずけられてすごした。両親と離れるのははじめてのことだった。

(中略)

「あなたもさっきちっとも食べなかったわね。すいか、好きでしょう?」

おばさんが、なめるような視線を送りながら言った。なんだかへびみたいだ、と思った。

畳に置かれた大きなお盆には、すいかが山のようにならんでいる。一つとってかぶりつくと、だらだらとしるがたれた。口いっぱいに甘い冷気がひろがる。

(中略)

みのるくんが二切れ目のすいかに手をのばし、私はお盆をみてぎょっとした。まっ黒な蟻がたくさん、すいかにたかっている。お盆にたまったしるにも、そばに置かれた包丁にも、蟻はぞろぞろ行列していた。

(中略)

みのるくんは少しも頓着せず、蟻がたかったままのすいかをかじった。

蟻は、みずみずしく赤い大地の上を右往左往している。

  • 『すいかの匂い』江國香織著
    『すいかの匂い』
    江國香織著(新潮文庫)

    11人の少女たちの秘めやかな夏を描いた連作短編集。
  • 江國香織さん
    江國香織(えくに・かおり)
    1964年東京都生まれ。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞など受賞作多数。小説以外に、詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。

※『Nile’s NILE』2021年9月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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