京都の夏と言えば

食語の心 第3回 柏井 壽

食語の心 第3回 柏井 壽

食語の心 第3回

京都の夏の風物詩と言えば、何をおいてもまずは祗園祭。
梅雨が明けるか明けないか、という微妙な時期。7月17日に、コンチキチン、リズミカルな祗園囃子に乗り、山鉾巡行が行われ、全国にそのニュースが流れる。

日本三大祭の一つ祗園祭はしかし、山鉾巡行や、その前日の宵山だけではなく、7月1日の吉符入から始まり、31日に行われる「疫神社」の夏越(なごし)祭まで、延々1カ月の長きにわたって行われる祭事。7月の都大路は祗園祭ただひと色に染まる。

そしてその祗園祭に欠かせない食べものが鱧(はも)。祭り鱧と言われるほど、夏の京都と鱧は縁が深い。
鱧。鰻(うなぎ)の仲間だが、どういうわけか関東ではなじみが薄い。京都のみならず、西日本では好んで夏場に食べられる鱧。産地が近いせいもあるのか、明らかに西高東低。淡路を中心とする瀬戸内海、豊後水道、玄界灘、対馬海峡を越えて、最近では韓国産の人気も高い。

だがしかし、京都は海から遠い。祗園祭と同じく、日本三大祭の一つである大阪の天神祭なら、海にも近く、好んで鱧を食べても不思議ではない。だが瀬戸内から京都までは少なからず距離がある。なのにこれほど親しまれているのは何故か。それには大きく二つの理由がある。

一つには鱧が持つ生命力の強さ。瀬戸内で獲れた鱧を京都まで、水槽がなくても、生きたまま運べるほど、強い生命力を持っている。と、ここまでは巷間よく伝わる話。多くの方はここで納得しても、僕は合点がいかない。
姿形は鰻や穴子に似ているのに、何故鱧だけ生命力が強いのか。水なくしても生きていられるのか。その秘密を探って、たどり着いた答えは。

大抵の魚類はエラ呼吸だが、鱧はそれに加えて皮膚呼吸もできるのだと知った。水から上がって丸1日くらいなら、平気で生きているというから、たしかに魚としては珍しい。今ほど流通が発達していなくても、大阪湾辺りから1日あれば、京の都まで運んで来ることができただろう。

さらに鱧の生命力が強いのは、その餌の食いっぷりにあると言われる。獰猛とさえ言えるほど、何でも食べる。それはまさに〈食む〉という言葉がぴったりで、それ故〈食む〉が転じて鱧と呼ばれるようになった。前回ご紹介した鮎と同じく、鋭い顔付きほど旨みを湛(たた)えるのは、それ故のこと。

もう一つ。京都に鱧料理が根付いたのは、卓越した技を持つ料理人が多く居たからである。
無数とも思えるほど夥しい数の小骨を持つ鱧。皮一枚残して、1cmに、8、ないし9の包丁目を入れることで口当たり良く食べられる。並の技術では難しく、故に産地では疎んじられてきた。
生命力の強さ、骨切りの技を持つ料理人の存在。両者が相俟って、京都の夏と言えば鱧、となったのだ。

さてその鱧。多様な調理法によってバリエーション豊かな料理になるが、時代とともに変遷しているのも興味深いところ。
代表的なのは〈焼き鱧〉。金串に刺した大きな切り身を、鰻の蒲焼きよろしく、たっぷりとタレを付けて炭火で焼く。比較的安価で惣菜の部類に入る〈焼き鱧〉が庶民の味方だとすれば、小さな切り身をさっと湯通しし、氷水で冷やした〈鱧落とし〉は、旦那衆御用達。梅肉と山葵(わさび)を付けて食べると、口の中に涼風が吹く。
同じような切り身に粉をまぶし、椀種にすると〈牡丹鱧(ぼたんはも)〉になる。細かな切り口が、吸い地の中で牡丹のように花を開かせる。
家庭の惣菜にもなる〈焼き鱧〉は、割烹や料亭だと〈源平焼き〉として人気が高い。タレ焼きと白焼き。前者は粉山椒、後者は山葵で味わう。

鱧を使った箸休めに〈鱧皮と胡瓜の酢の物〉がある。〈鰻ざく(うざく)〉の鰻の代わりに焼き鱧の皮を使ったもので、通人は〈鱧ざく〉などとも呼ぶ。この料理はしかし、祗園祭中は卓に上らない。のみならず、7月に胡瓜を使うことはご法度となっている。
祗園界隈はもちろんのこと、洛中の多くがこれを守るのは、胡瓜の切り口が「八坂神社」の神紋とよく似ているからで、神の紋を食べるなど畏れ多いというわけだ。こういうところがいかにも京都らしい。

話を鱧料理に戻す。かつては〈焼き鱧〉が代表選手だったが、近年は〈鱧寿司〉の人気が急上昇。
先に書いたように〈焼き鱧〉自体は比較的安価だが、それを使った棒寿司だと、何故か高価になる。ただの焼き鱧より、一層の繊細さを求められるせいだろう。1本1万円を下ることはなく、店によっては2万円を超える。故におつかいものとして最適となる。貰った方は必ず喜ぶ、究極の「おもたせ」が〈鱧寿司〉。

もう一つ。〈鱧寿司〉と人気を二分しているのが〈鱧しゃぶ〉。言うまでもなく、鱧のしゃぶしゃぶである。鱧の身を透けるほど薄く切り、鍋でさっと泳がせ、ポン酢や梅肉を付けて食べる。つまりは鍋物の一種。夏でも好んで食べられるようになったのは、ひとえにエアコンの普及による。

盆地特有の日照りを食らう京都で、夏場に鍋物などとんでもないことだったが、今は冷房の効いた涼しい座敷で鍋を囲む。そのシチュエーションもまた贅沢なことだが、ここに別の食材が加わると、さらなる贅沢が味わえる。

それは秋の味覚の王者である松茸。松茸と鱧のコラボ。これぞ贅の極み。海外産でも悪くはないが、広島辺りの早採れ、「早松(さまつ)」なら言うことなし。松茸の軸を鱧の身で巻き、酢橘(すだち)を搾って食べる。松茸の山の香りと、かすかに潮の芳香を含む鱧の味わいが、舌の上で混ざり合う。夏の盛りと早い秋が、同時に口の中にあふれる。

と、しかし、こういう料理が正統かと言えば、それはまた別の問題でもある。そもそも鱧は夏場が「旬」なのか。〈早松〉は邪道ではないのか。全て食材は「旬」を味わってこそ美味と言えるのではないか。そんな疑問が頭をもたげる。
次回はその話をしよう。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2013年7月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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