口コミグルメ

食語の心 第53回 柏井 壽

食語の心 第53回 柏井 壽

食後の心 第53回

近年、グルメという言葉とセットになっているような言葉に「口コミ」がある。元々は、ジャーナリストの大宅 壮一氏の造語で、口頭でのコミュニケーションを意味したものだ。「マスコミ」の対極にあるものとして、造られた言葉。
言ってみれば、井戸端会議での評判やうわさの範囲にとどまるものであり、それがひとたびマスメディアに載ってしまえば、口コミではなくなるはずなのだが。

つい先ごろ『おいしい! 京都「ごはんたべ」』というタイトルを付けた、女性誌のムックが発売された。そのサブタイトルは「139軒オール口コミ!」。

何かの間違いではないか。印刷ミスではないか。わが目を疑った僕は、早速中身を見てみた。目次や内容を読んで、印刷ミスではなく、雑誌を作っている人たちが、大きな勘違いをしているのだと分かった。

サブタイトルにあるように、このムックは139軒の店を紹介する記事で作られている。そしてそれらすべてに、推薦者のコメントが付いていて、つまりはそれを「口コミ」と言いたいようなのだ。

素人がなんとなく空気感でそう呼ぶようなことはあっても、言葉を商売道具として仕事をしているプロにしてこの体たらくである。
たとえ誰か編集者の一人が、タイトルに「口コミ」という言葉を付けようとしたとしても、心ある編集者が一人でもいれば、こんなことにはならない。歴史ある出版社の人気雑誌が、こんな間違いに気付かず、誤った解釈を広げている。

何年か前からその下地はあった。日本最大のグルメサイトの売り物は「口コミ」と名付けられた店のコメント欄。
著名な料理評論家などではなく、市井の、それも匿名でコメントを書いているから便宜上「口コミ」としたのだろうが、いつの時代にも言葉は常にひとり歩きをする。

どんなにそれが「マス」になったとしても、顔を出さない一般人の言だから「口コミ」だとする論理は、やや強弁だとしても、容認されても仕方がないとも思える。大宅先生ご存命であれば、苦笑いされる程度で済むに違いない。
しかしながらこのムックの表紙に記された「口コミ」の文字には、造語者として、大いに立腹されるだろう。なぜならそれが誤用を超えて、悪用されているからである。

大宅氏が「口コミ」という言葉を造った裏には、「マスコミ」という表層を信用できない、という側面があったはずで、つまりは「口コミ」とは利害関係が及ばない、市井の民の声を表す言葉だったと思う。

「マスコミ」は信用できないが、「口コミ」は信用できるといった空気が、いつの間にか出来上がっている。
このムックが「口コミ」という言葉を前面に打ち出した、最大の理由はそこにある。

媒体としては大手出版社が編集した「マスコミ」だが、中身は「口コミ」だから信用していいですよ。
そう言いたかったのだろうが、残念ながらこのムックは、本来の「口コミ」とは似て非なるものである。

タイトルにある139軒の店は、すべて京都在住の有名人が推薦したもので、匿名ではなく、それぞれが実名で推薦理由を語っている。おそらくはそれを「口コミ」としたかったのだろうが、それはもう「マスコミ」以外の何ものでもない。

たとえばテレビ番組で、著名なタレントが行きつけの店として、レストランを推薦したりするが、それを「口コミ」として紹介したりはしないだろう。賢明な視聴者は、タレントと店の間に何かしら、特別な関係があるのでは? と疑いの目も持って見ている。きっと有名人だから特別待遇を受けているに違いない、と。

「マスコミ」の世界にいる人の言は「口コミ」ではない。と同じく、京都という街において、名の知れた京都人の言は「口コミ」ではない。

京都というのは極めて狭い街である。その中で生きてゆくには、さまざまな人間関係、しがらみといったものと無縁でいられるわけがない。なれ合いと言えば、言葉が過ぎるかもしれないが、そういう関係なくして、円満に京都で暮らすのは難しいのだ。

僕が何を言いたいか、がお分かりいただけるだろうか。誰かが推薦した店を掲載することに、何ひとつ問題はない。テレビ番組でタレントが推薦する店を採り上げることと同じく、だ。だがそれを「口コミ」とするのは一種の羊頭狗肉である。

この「口コミ」については、次回もう少し掘り下げてみる。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2017年9月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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