「黄金の生命」としての羊
祈りと再生のシンボル

多摩美術大学名誉教授・芸術人類学者
鶴岡真弓

多摩美術大学名誉教授・芸術人類学者
鶴岡真弓

私はあるとき、イギリスの西にあるアイルランドで、記録映画『地球交響曲(ガイア・シンフォニー)第一番』(龍村仁監督)に出演のため撮影をしていた2月、緑の牧場に子羊が生まれて母羊とたわむれている光景を見ました。あの輝く白いフリースを生む羊は、このようなまだ寒い冬に、黄金の太陽が、はやばやと復活するようにして、この世に生まれ落ちてくるのだ、ということを知り感動したのでした。

厳寒の、まだ日照時間もじゅうぶんではない冬に、早くも子羊は生まれる。これは闇から光への復活を象徴しているように思えたものでした。この映画ではアイルランドの歌姫エンヤと共演させていただいたのですが、その映画に流れる彼女の歌にも、「闇から光へ」、季節がじょじょに移り、希望の行進の足音が高まってゆくようなリズムが聴き取れました。それはすでに述べた「神の子羊」、犠牲となりながら復活する魂と生命に重なったのです。

さて最後にキリスト教美術作品のなかで最もよく知られている「神の子羊」といえば、それはベルギーのゲントの教会にあるゲントの祭壇画のそれでしょう(ファン・エイク兄弟「ゲントの祭壇画」部分 「神秘の子羊の礼拝」1432年)。年間20万人以上の人々がこれを拝みに来るといいます。アイルランドにも負けない青々とした緑野のまんなかに、おおぜいの天使たちに囲まれて、子羊は胸を張るようにたたずんでいます。よく見ればその胸から「血を流して」おり、その鮮血は「聖杯」のかたちをした器に力強く注がれています。そう、これは「神の子羊」として人間の罪を贖うためにひとり犠牲になりながら「復活」を約束されたキリストなのです。

その頭上を見てください。この子羊の頭にのみ「黄金の光」が輝いています。そしてその黄金は、その羊毛を「雪のように白く」際立たせています。このファン・エイク兄弟の傑作は、ヨーロッパのキリスト教信仰や「羊」のシンボリズムが、1万年をかけて「羊」を育んできた人間の歴史、人々の想いに支えられていることをあぶり出しています。

ですからフリースを着るときは、「黄金の生命」としての羊の生命力と、その神々しい美しさを思いおこしながら、みずからも輝いていただきたいのです。

「羊」とは太古から現代まで、生命の復活を祈る、私たち人間が生み出した「生命=輝き」を表すシンボリック・イメージの傑作なのです。

つるおか・まゆみ
早稲田大学大学院修了後、アイルランド、ダブリン大学留学。処女作『ケルト/装飾的思考』(筑摩書房)でわが国でのケルト文化芸術理解の火付け役となる。主著に『ケルト美術』(ちくま学芸文庫)、『ケルトの歴史』(共著・河出書房新社)、『装飾する魂』『ケルトの魂』(平凡社)、『阿修羅のジュエリー』(理論社)、『装飾デザインを読みとく30のストーリー』(日本ヴォーグ社)、『すぐわかるヨーロッパの装飾文様』(東京美術)、『ケルトの想像力』(青土社)、『ケルト再生の思想』(ちくま新書・河合隼雄学芸賞)。

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※『Nile’s NILE』2024年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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