衣食住
皮革から羊毛へ
皮革の利用は古く、狩猟時代から現在まで、毛皮として衣服などに利用されている。ラテン語で羊をオヴィス(ovis)というが、インド・ゲルマン語のウヴェーレ(uvere)、すなわち「覆う」あるいは「着る」という意味の言葉に源を発していることも、皮革の利用の古さを裏付けている。羊の皮革は身から剥がし易いという特徴があり、服を脱がすように剥がすと、脚の部分を縛るだけで大きな皮袋ができる。この皮袋は遊牧民によって、バターを作る容器や、いかだの浮きなど、さまざまなかたちで利用されている。
また、1世紀のローマの学者であったプリニウスが、その著書『博物誌』の中で、紀元前2世紀にペルガモンという都市で羊皮紙が作られるようになった経緯を記している。羊皮紙は、羊だけではなく、ヤギや子牛、シカ、ブタなどさまざまな動物から作られているが、平滑で丈夫な動物の皮革は、記録媒体としても有用であったのだ。英国では現在でも公文書に羊皮紙が用いられることがあり、ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚証明書が、羊皮紙にしたためられたことは記憶に新しい。
肉と脂のために家畜化された羊であるが、春に抜け落ちるめん毛から、最初はフェルト、次には紡いで糸が作られるようになる。植物繊維を撚って糸を作り、それで織物を作ることは早くから知られており、それを応用して毛糸を紡ぐことは比較的容易であったはずである。現在の家畜羊は、めん毛が抜けずに伸び続けるようになっており、かなり早い段階から羊毛の生産を目的として品種改良が行われていたことを示している。
医学への応用
羊の原毛をウールに仕上げる際に、副産物として回収される蝋状物質(羊毛脂)がラノリンである。抱水性に優れており、自重の2倍量の水と混和することができる。また、皮膚粘着性が良く、軟膏剤の医薬品添加物や、化粧品などの基剤として用いられている。
医学の分野では、遺伝子組み換えによって「乳中に薬品となるヒトのタンパク質を分泌する羊」を作出する研究も行われたが、世界初の体細胞クローン哺乳動物「ドリー」が、その研究の一環として作出されたことは意外と知られていない。羊はこれまでの畜産の枠を超え、医学への応用という全く新たな方向へ歩みだした。私たち人間の古きよき伴侶である羊に、新たな人類の未来を期待したい。
川田啓介 かわだ・けいすけ
東京農業大学農学部畜産学科を卒業後、岩手県奥州市にある「牛の博物館」に学芸員として勤務。2003年同館にて「家族で楽しむ企画展2003 羊は牛ですか?」を企画。家畜育種学、家畜文化史を研究している。
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※『Nile’s NILE』2024年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています