漢字学
羊の首を切り、神の意志を知る人を裁いた羊神判とは……
羊は人間界の争いを裁くためにも使われた。「羊神判」とよばれるもので、具体的な様子は時代が下った『墨子』(紀元前5世紀)に斉の荘公の時代(紀元前8世紀)のこととして記載がある。
それによると3年もの間、解決できない訴訟案件を裁くために、王は神の社の前で神判に用いる羊の首を切らせ、そこから滴り落ちた血を溝に注ぎ、訴訟当事者双方が神への誓いを読み、羊に異常があった方を負けとしたという。羊を前にして双方が言葉を発して、神への誓いを述べる様子を表したのが「譱(ぜん)」(図の5)。勝訴することは神の意志にかなったことであり、「善」のもとである。「詳(つまびらかにする、くわしい)」が「譱」の一部からできており、判決は神託になぞらえられて、「祥(よい)」となったことも理解できよう。
この当時、訴訟は命がけであったのだ。なぜなら敗訴した者は、その誓いの言葉や神判に用いた羊とともに、川に流されたこともあったからである。その動物は「解廌」という羊に似た一角の聖獣とされ、その流される様子を表したのが下図6で、これが後に省略されて「法」となるのである。一方、勝訴した者の用いた解廌の胸には「心」の形の入れ墨を施して、よろこびの印とした。その形が「慶」である。
つまり、①牧羊や羊の性質に関する字として生まれたのが、羊、養、群、達、②犠牲や羊神判に関するものには美、義、犠、善、詳、祥、廌、灋、慶、ということになる。
漢字はその形体の中に古代の姿を見事に表しているものである。古くから家畜であった羊については、漢字の形体から性質や牧羊の様子、犠牲・羊神判といったことまでが現代の私たちにも見てとれるのである。
久保裕之 くぼ・ひろゆき
1965年、愛媛県生まれ。文化勲章受章者である東洋学者・白川静の研究を基礎とした漢字知識の普及活動を行う。漢字と字源となった事物をともに学ぶ、体験型漢字講座「漢字探検隊」を全国で展開中。著書に『入門講座 白川静の世界』共著(平凡社)、『漢字文化事典』(丸善出版)。
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※『Nile’s NILE』2024年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています