食に限らず、日本の物価は諸外国に比べて格安なのだそうだ。
世界中で販売されている、同じチェーン店のハンバーガーで比較すると一目瞭然だと聞いた。
日本では400円弱で売られているそれが、ブラジルでは約500円、カナダでは600円強で、一番高いスイスだと800円を超えるというのだから、2倍ほどになる。
これは一例だが、おおむねほかの食もそれに準じた価格となっているだろう。とすれば、日本でわれわれが食べているものは、格安だということになる。
ハンバーガーを食べる機会は少ないのでピンとこないが、たとえば日本では1杯数百円で食べているラーメンが、スイスなら1,200円という計算になる。
そう考えるとたしかに、ありがたいことと感謝せざるを得ないのだが、それは食べる側に立った話であって、飲食店側からすれば、どこかで無理をしているのかもしれない。
おおむねそれは人件費だと言われ、つまりは日本の食は、安い人件費によって価格を抑えられているということになる。
それは決していいことではないように思う。賃金が上がらないと暮らしは豊かにならないからで、食というものは豊かさの象徴でもあるのだから、どんなにおいしいものがあっても、矛盾が生じてしまう。
そう思いつつ食の値段を改めて見てみると、興味深い事実が浮かび上がってくる。
格差社会と言われて久しいが、食の世界でもその格差は広がるいっぽうのようだ。
総じて庶民的な食は、長く低価格に抑えられているのと逆に、高価格の食はどんどん高額になっている。
たとえばお寿司。
極端な例ではあるものの、回転寿司だとひとり1,000円も出せば、そこそこ食べられるが、最近の高額だろうが、おまかせコース3万円から、という店もよく耳にするし、お酒を含めると5万円ほど、という店もあるのだが、ずいぶんと先まで予約で席が埋まっていると聞けば、やはり驚いてしまう。
先のお寿司でいえば、回転寿司チェーンと、江戸前の高額寿司店では、使っているネタの価格がまったく異なるだろうから、その格差分も寿司店だと、5万円でも足りない店も少なくない。
食通の方からすれば、それを比較することが無意味だとなるのだろうが、数字を比較すれば50倍の格差ということだ。
あるいは割烹店もけっこうな格差が生じてきた。
京都でいえば、ざっとひとり1万円ほどで夜の食事ができる店が多いからなくはない。
では割烹はどうだろう。
もちろん仕入れ値に多少の違いはあるだろうが、その差が数倍になるとは考えづらい。
とすれば、その格差は賃金も含まれているのだろうか。
などと、食の値段を考えるきっかけになったのは、食品全般の値上げである。
異常気象、原油高、あるいは紛争による世界情勢の変化など、さまざまな要因が重なった結果、令和が3年から4年に替わったころから、あらゆる食品や食材の価格が高騰し始めた。
なかでも小麦粉の価格が上がったことにより麺類が上がり、即席麵が2割ほど上がった。
街のそば屋さんでも同じく値が上がり、あるいは食肉の卸し価格が高騰しているということで、牛丼から焼肉、ステーキに至るまで、あらゆる肉料理の外食価格が上がった。
一消費者としては、低価格でおいしいものが食べられるなら、それに越したことはない、と思いながらも、大所高所に立ってみれば、ことはそう単純なものではないようだ。
そしてここにきて、地域紛争が拡大し、世界中が戦乱の渦に巻きこまれる事態へと発展してきた。
コロナ禍に加えて戦乱状態となれば、原油を始めとしたさまざまな物価が上昇し、当然のことながらそれは食の値段を押し上げる要因となるのは間違いない。
少なくとも日本においては、牛丼1杯をワンコインで食べられるのが当たり前という時代が長く続いてきたが、どうやらそれも終焉を迎えるようだ。
これから先、食の値段は上がることはあっても下がることはなくなるのだろう。
そのときひとはどんな食を選ぶのか。どんな食に相応の対価を支払うのか。注視していきたい。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2022年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています