その一方、半田氏は40万円台のロンジンの時計の価格以上の出来栄えにも「ときめいた」と明かす。
「資産的な野望も目論見もありません。価格に関係なく、素晴らしい、着けてみたいという思いが湧いてくるかどうか。買った時計は一つとして手放さず、全て手元にあります」
時計への“ときめき”―それを伝えるべく、ミスズはウォッチリテール「HANDA Watch World」を、本社を置く西荻窪を始め、銀座、吉祥寺、さらに全国11カ所に展開する。
「さまざまな高級時計店を訪ねて、敷居の高さが気になりました。私どもの店舗は敷居を低く、高級時計であっても、まるで八百屋の野菜のように並べて、気軽に手に取れ、腕に乗せられるようにしています」
顧客との交流も大切にしている。「いわゆる普通の展示会ではなく、コンサートや演劇、プロゴルファーと一緒にプレーできるゴルフコンペを開催したり、クルーズ船を貸し切りにして薪能、オペラ、ポールダンスなどもやりました。大阪のタコ焼き屋さんを貸し切って、明け方まで飲み食いしながらの展示会もありました(笑)。見たことも聞いたこともないような企画で、時間を共有してくれるお客様たちを楽しませ続ける。その延長線上に時計もあるんです」
取り扱うブランドはジラール・ぺルゴ、ユリス・ナルダン、ドゥ・べトゥーン、モリッツ グロスマンなどの実力派マニュファクチュールから、ファッション感度の高いロベルト カヴァリ バイ フランク ミュラー、国内生産にこだわったコストパフォーマンスの高いオリジナルブランド、ザ・ニシオギなど30以上を数える。中でも注目すべきが、ヤーマン&ストゥービとハイゼックだ。
ヤーマン&ストゥービは、ゴルフカウンターとプレー中にも着用可能な耐衝撃機構を備えたモデルで、スイスで07年に創業するや一躍注目を集めた。16年からミスズでも取り扱いを開始したが、ほどなく経営や生産体制が不安定化していたこのブランドの、救済依頼を受ける。半田氏はヤーマン&ストゥービを自社グループ傘下とし、立て直しに着手。製造については、ミスズが日本総輸入元となっていたハイゼックへの依頼を実現させる。ハイゼックは、名うてのウォッチデザイナー、ヨルグ・イゼックによって1997年に設立され、クリエーティブなモデルを展開。2006年に後継者に運営が委ねられた後も、超複雑モデルまでも自社生産可能な体制を構築していた。そのハイゼックがヤーマン&ストゥービの製造を引き受け、品質を向上させたことが、ブランド再生の鍵となった。
半田氏にとって時計とは? 最後にそう質問を向けてみた。
「高級時計は、はかなく、もろく、危ういところに引かれます。自分の手で巻くことで、時計に命が宿って動き出しますから、可愛い自分の子供のようでもある。時計というのは、心理学的には恋人を表しますから、やはり時計を身に着けることによって“ときめく”んですね」
時計がもたらす“ときめき”、半田氏は世界で一番それに敏感な人物と言って差支えないだろう。
半田晴久 はんだ・はるひさ
1951年、兵庫県生まれ。別名深見東州。大学受験予備校みすず学苑を運営するミスズを79年に設立。同社にて時計事業も展開。そのほか、国内外で10数社を経営するビジネスマンであると同時に、国際的な慈善事業やスポーツ振興活動にも取り組み、世界の要人との人脈も広い。2023年に英国王室離脱後のヘンリー王子の初来日を実現させたほか、サッチャー元英首相、オバマ元米大統領らを招聘、多くのシンポジウムを行う。また、あらゆる芸術に精通し、実際に実演する。現代のルネッサンスマンと呼ばれる。
●ミスズ
TEL 03-3672-5577
※『Nile’s NILE』2024年6月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています