“芸”のある職人の道を生涯追求
東京を代表する鰻の名店、野田岩。創業は寛政年間(18世紀末)。当時近くにあった水天宮の門前、にぎわいのある一角に暖簾を掲げた。
現当主の金本兼次郎氏は5代目。91歳にして現場に立ち続ける。現役から離れないのが、元気でいる秘訣(ひけつ)だ。
「いくつになっても焼いていないと、勘が狂います。お医者さんが、僕が60代の時に『仕事を1回辞めると二度とできなくなるから、継続したほうがいい』とおっしゃって。その言葉を聞いて、じゃあ一生続けようと思ったんです」
今でこそ野田岩は東京を代表する店の一つに数えられるが、それは戦後の混乱期を親子で乗り切り、暖簾(のれん)を守るべくもり立ててきた金本さんの努力があってこそ。とりわけ、戦後間もなくバラックで商売をしていた時期に、出前を定期的にとってくれるお客に誠心誠意尽くしたことで、多くのお客の紹介を得た。これがバラック脱出、店を構えるきっかけとなったという。
「親父が私を厳しく育ててくれたからよかった。こんなことがあったんです。15か16歳の時、『明日は僕が鰻の仕入れに行くよ』と伝え、翌朝5時に起きたら親父がすでに起きていた。
そうしたら親父は『お前はグズだ!』と。それで3時に起きるようになった。おかげで私は何かにつけて人よりも一歩前に出ることを教わりました。どんなことに負けてもいいけど、自分の商売だけは負けちゃいけないとよく言われました」