職人魂が到達した、一流の極み

江戸時代の寛政年間創業の鰻の名店、野田岩。当主である5代目の金本兼次郎氏は91歳にして、現在も厨房に立ち続ける。戦後間もない混乱期から家業を助け、高度成長、グルメブーム、バブルとその崩壊……時代の変化、街の変化を見守りながら、代々の味を守ってきた。ブレずに一流であり続けた、職人の誇りがそこにはある。

Photo Haruko Amagata  Text Izumi Shibata

江戸時代の寛政年間創業の鰻の名店、野田岩。当主である5代目の金本兼次郎氏は91歳にして、現在も厨房に立ち続ける。戦後間もない混乱期から家業を助け、高度成長、グルメブーム、バブルとその崩壊……時代の変化、街の変化を見守りながら、代々の味を守ってきた。ブレずに一流であり続けた、職人の誇りがそこにはある。

素焼き、蒸し、仕上げの3ステップ

当店では、何代にもわたって引き継いできた伝統の方法で鰻を焼いています。まずは包丁で手早く裂き、串打ちし、素焼きにします。ここでしっかりと焼いて生臭さを消します。また、ここできっちりと焼くことで、蒲焼の色の出方が違ってきます。

そのあと、じっくりと蒸して余分な脂を落とします。この工程を、私は「鰻のダイエット」と呼んでいます(笑)。

うちはパリにも店があるのですが、フランス人はこの表現をたいそう気に入って、「だから野田岩の鰻は、旨みのインパクトがあるのにヘルシーなんだ」とおっしゃいます。あちらにも鰻があり煮込みなどにするのですが、この工程がないので、やはりこってりとした仕上がりになるようです。

そのあと、みりんと醤油のタレにつけ、備長炭で焼く工程に。この時は、焦げ目をつけることなく、裏表をよく返しながら仕上げます。ここでのポイントは、火床をしっかりと作ること。弱くても強くてもダメ。

また鰻は一匹ずつ違うので、火の強いところに置くか、弱いところに置くかの判断も必要です。そして、うちわでよくあおぎ、風を送って火力を保つこと。これによっても、仕上がりの色、風味が違ってきます。

鰻包丁は使い倒す

鰻包丁は、切っ先に向かってカクッと曲がっている、特徴的な形をしています。今は若い子に毎日研いでもらっていますが、前はもちろん自分で研いでいました。とにかくたくさん裂くので、減りが早い。毎日きちんと研がないと、裂くスピードも変わってくるので、包丁は皆、真剣に扱っています。

五代目 野田岩 麻布飯倉本店、鰻包丁

和食の人は一本の包丁の思い入れを込めて長く使うようですが、鰻包丁は年に1回ほど買い替える感覚です。どんどん裂き、どんどん研ぎ、使い倒す。切れなくなったらドジョウを裂く包丁に転用したりもします。毎年替えているので、そうですね、料理人人生の中で80本くらいは鰻包丁を使ったことになりますかね(笑)。

鰻を裂くのはみんなで朝やるのですが、毎日400〜500匹くらい。以前は30kg、40kgでも裂いていたのですが、もうしょうがない。91歳になっちゃったから(笑)。1日でも休むと勘が鈍るので、できる範囲でたくさん裂いています。

80代で、ヒマラヤ登山

84歳と86歳の時に、ヒマラヤに登山に行きました。目的地は、標高5550mのカラパタール。86歳の時は途中でリタイアしてしまいましたが、84歳の時は登頂に成功しました。

登山は若い時から好きで、30代までは集中して北アルプスなどに登っていました。でも40代で一度やめ、80代で復活。縁あったグループの方々と、海外の山に登ることになったんです。

五代目 野田岩 麻布飯倉本店、金本兼次郎氏のヒマラヤ登山

ヒマラヤ登山は、日本からは4人のグループで行き、現地のシェルパと案内人を含めて10人の一団に。このメンバーで、予備日も含めて20日間ほどかけて登ります。

4000mを越えると草木がなくなり、「月もこんな風景なんじゃないかな?」と思うような別世界。星も綺麗ですよ。5000mほどのところにベースキャンプを作るのですが、ここまでくるとヒマラヤ連峰が見張らせて、それはもう絶景です。もちろん登るのはつらいですが、こうした風景を見る喜びもまた、かけがえのないものです。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。