
前号のジュネ―ブ新作時計特集で伝え切れなかった中から、ビッグメゾンにない価値と魅力が詰まった独立系の動きを紹介したい。まず2013年に日本人初の独立時計師アカデミー(AHCI)正会員となった菊野昌宏氏が、ジュネーブ市内で開催されたAHCIの展示会マスターズ・オブ・オルロジェに新作を携え、2017年のバーゼル以来久々に姿を見せた。菊野氏といえば、昨年11月の日本をテーマとするオークション“TOKI(刻)”に出品した「トゥールビヨン2012」が約4545万円、星座盤を備えた「蒼そう」が約1717万円で落札され、改めて存在感を示す結果となった。
今回のモデルは試作段階ながら、ミニッツリピーター、クロノグラフ、トゥールビヨン、パワーリザーブインジケーターという超複雑機構を搭載。ジョージ・ダニエルズに影響されたという。微細なパーツも手作業で削り出し、往年の時計製作にのっとった創作態度で知られる菊野氏だが、今回のモデルではCNCマシンを導入した点が興味を引く。「ヒコ・みづのジュエリーカレッジで講師を務めていますが、生徒がCNCを学ぶことも視野に、比較的安価なマシンを入手し、私自身あまり経験のなかったCNCを研究しました。今、そのCNCは学校に設置され、生徒たちが製作に励んでいます」
時計自体の複雑さや仕上がりはもちろん、技術の指導や継承を意図した点が意義深い作品だ。
独立時計師界の巨匠、アントワーヌ・プレジウソ氏は、昨年に続いてAHCIの会場ではなく、個性派77ブランドが集結した展示会TIME TO WATCHESで新作を発表。ちなみにこの展示会も、場所をウォッチズ&ワンダーズ会場のパレクスポのそばに移し、昨年から35%増の9500人が来場しにぎわった。
プレジウソ氏の展示作品の中で特筆したいのは、1920年代初頭のジュウ渓谷の時計学校のスクールウォッチのムーブメントをレストアし、トゥールビヨンを組み込んだ懐中時計「トゥールビヨンインペリアル」。ケースを手掛けたのは、名匠ジャン-ピエール・ハグマン氏。パテックをはじめとするハイブランドや、注目度急上昇中のレジェップ・レジェピのケースを手掛け、昨年ジュネーブウォッチグランプリで審査員特別賞を授与されたが、残念ながら今春逝去。もう手に入らない巨匠同士のコラボ作の意義は大きい。プレジウソ氏の令嬢のローラ氏が、ケース装飾や仕上げを担当し、さらなるストーリー性も加えられている。プレジウソ氏の創造性にもう少しカジュアルに接してみたい向きには、彼がイタリアの古都シエナの時計塔に感銘して1986年に発表し、2023年に復活した「シエナ」の新バージョンが6月中旬に発売されたこともお知らせしておきたい。
スイス時計フェア後の5月、飛田直哉氏が率いるNH WATCHから初のパーペチュアルカレンダーモデル「NH TYPE 6A」が登場、関係者や愛好家を歓喜させた。オーストリアの独立系メゾン、ハブリング2のマリア&リチャード・ハブリング夫妻や、モジュールで評価の高いデュボワ・デプラ社の協力の下、完成にこぎつけた。実は5月に実施されたネット予約ですでに完売だが、このモデルを取り上げたかったのは、「まだまだ先までプランはあります」と以前語っていた飛田氏の思いが、一つひとつ形になっていくのをファンの一人として喜びたいからに他ならない。
まつあみ靖 まつあみ・やすし
1963年、島根県生まれ。87年、集英社入社。週刊プレイボーイ、PLAYBOY日本版編集部を経て、92年よりフリーに。時計、ファッション、音楽、インタビューなどの記事に携わる一方、音楽活動も展開中。著者に『ウォッチコンシェルジュ・メゾンガイド』(小学館)、『スーツが100ドルで売れる理由』(中経出版)ほか。
※『Nile’s NILE』2025年7月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています