2023年春、ルイ・ヴィトンは「ルイ・ヴィトン ウォッチ プライズ フォー インディペンデント クリエイティブズ」の創設をアナウンスした。2年に1度、新進気鋭の独立時計師や起業家を対象に作品を募り、デザイン、審美性、複雑性など五つの観点から審査を実施。最優秀賞受賞者にはトロフィーと助成金、さらにルイ・ヴィトン傘下のウォッチメイキングアトリエ「ラ・ファブリク・デュ・タン ルイ・ヴィトン」での1年間のメンターシップも提供される。
1年弱の審査期間を経て、2024年2月6日、1000点近い応募作の中から、独立時計師ラウル・パジェス氏が手掛けた「RP1-レギュラトゥール・ア・デタント」が、記念すべき第1回ウィナーの栄誉を手にした。
パジェス氏は1983年、スイスヌーシャテル州ル・ブルネの出身だが、スペイン国籍を持つ。パルミジャーニ・フルリエやパテックフィリップの修復部門に在籍後、2012年に独立、17年に独立時計師アカデミー会員に。手作業によるこだわったモデルを少量のみ製作し、ごく限られた好事家の間で知られる存在だったが、今回の受賞が知名度を飛躍的に上げるだろう。
受賞作の「RP1-レギュラトゥール・ア・デタント」は、ピボット・デテント脱進機を採用したことが高く評価された。
一般的な機械式腕時計ではスイスレバー式という脱進機が用いられている。これは精度をつかさどるテンプの動きをアンクルという二つの爪を持つパーツを介してガンギ車に伝えるものだが、デテント脱進機にはアンクルがなく、テンプの動きに連動した板バネを介してガンギ車を制御する。18~19世紀のマリンクロノメーターでは、このデテント脱進機が多く採用された。スイスレバー式より動力伝達効率に優れるメリットの一方、衝撃や姿勢差に弱いなどデメリットも多く、腕時計ではウルバン・ヤーゲンセン、クリストフ・クラーレ、カリ・ヴティライネンなど、数例しか実現されていない。この「RP1」は、耐衝撃性を高める独自のアンチ・トリッピング機構を備え、往年のウォッチメイキングへのリスペクトを腕時計サイズに詰め込んだ。
このプライズのファイナリストを選ぶ審査員団45名の一人に選ばれた、日本が世界に誇る独立時計師、浅岡肇氏にパジェス氏に対するコメントを求めた。
「受賞作『RP-1』は、腕時計に搭載することが難しいデテント脱進機に果敢に挑戦しています。モダンなデザインとデテント脱進機がコントラストをなしていて、個性が際立っています」
このプライズは、最近とみに注目度が上がってきた独立系マイクロメゾンや独立時計師の存在に対して、メジャーなハイブランドが積極的にアプローチするフェイズに入ったことを示唆している。またLVMHグループを率いるベルナール・アルノー氏の四男で、今年26歳という若きルイ・ヴィトンウォッチ部門ディレクター、ジャン・アルノー氏がこのプライズの創設を提唱したことも重要だろう。
コロナ禍以前、高級時計業界は若い層へのアプローチが大きな課題だった。それがSNSなどを通じて、伝統技法を駆使した工芸性の高いハイエンドピースにアクセスする若き富裕層が急増している。ジャン・アルノー氏は、同世代として、こうした動きを敏感に捉えたように思う。
時計の創り手、流通、購買層も含めて、新時代の胎動を、このプライズを通して感じないではいなれない。
まつあみ靖 まつあみ・やすし
1963年、島根県生まれ。87年、集英社入社。週刊プレイボーイ、PLAYBOY日本版編集部を経て、92年よりフリーに。時計、ファッション、音楽、インタビューなどの記事に携わる一方、音楽活動も展開中。著者に『ウォッチコンシェルジュ・メゾンガイド』(小学館)、『スーツが100ドルで売れる理由』(中経出版)ほか。
※『Nile’s NILE』2024年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています