外へ食事に行こうとしてあまりに近い店は、ついつい遠ざけてしまっている。
どうせたいした店ではないだろう、と思って近所を軽んじてしまうせいでもあるが、近すぎて見えないというか、選択肢に入ってこないのである。いわゆる、灯台下暗しだ。
それが何かをきっかけにして行ってみると、なぜ今まで来なかったのだろうと悔いることがある。
もう60年近く住んでいる我が家から歩いて5分ほどのところに、「T」という小さなとんかつ屋がある。
物心ついたころから、たしかにそこに「T」はあった。豚のイラストが描かれた暖簾は、ずっと昔から掛かっていたように思う。
通い道というほどではないが、幾度となくその店の前を通っていたのだが、入ったことは一度もなかった。
どうにも不思議で仕方がないのは、僕が無類の揚げ物好きだということ。なかでもとんかつは大好物で京都市内はもちろん、大阪や東京に行っても、ついとんかつ屋を探してしまうほどだ。
なのになぜかこの「T」には、入ろうと思ったことは一度もないのである。
それはどこか人と人の縁にも似ているような気がする。身近な存在なのに、縁が薄いせいで接触することのない人が居るのと同じか。
二年前の夏だった。
昼どきになって、ふと「T」のことが頭に浮かんだのである。今もって、なぜそのときに「T」のことを思いだしたのかは分からずにいる。雑誌やテレビで見たとかではまったくないし、人の噂でもない。
「T」の正確な屋号もはっきりしないが、その場所にとんかつ屋があったということだけを思いだしたのである。すぐに例の口コミサイトで検索してみた。
と、どうだろう。店の名前だけは掲載されていて、地図を見るとたしかに記憶通りだ。口コミはもちろん、店のデータは何も書かれておらず、唯一日曜定休日とだけ記されている。幸いにしてその日は日曜日ではなかった。行くしかないではないか。
気が急くせいか、小走りになったので3分ほどで店の前に着いた。
記憶のなかの佇まいと同じだ。豚のイラストが描かれた暖簾は意外にも新しい。
初めての店は緊張する。ひとつ深呼吸してから、思いきってドアを開けた途端に拍子抜けした。
とんかつ屋というより、どう見ても食堂なのである。しかも昼どきだというのに、4人掛けのテーブル席は四つとも空席。つまり客は一人もいないのだ。
そのまま引き返すということも頭に浮かんだが、食堂然としながら、整然と、清潔に保たれた店の空気に魅かれた。
白いデコラ張りのテーブル、グリーンのシートが貼られたパイプ椅子。まったく傷みはなく、掃除も行き届いている。
プラケースに入った品書きを見て驚いた。とんかつもあるが、うどんや丼がメインのようなのである。しかもどれも安い。
とんかつを目指していたのだが、オムライス580円というところに目が留まり、主人らしき男性にオーダーした。想像とは違ったが、これはきっとアタリだろうと確信した。
その理由のひとつが清潔感。
テーブルに備えられたソースや醤油のボトル、コショウ、七味などのスパイス類も、どれもピカピカに磨かれていて、補充したばかりのように満タンなのだ。
こういう店は間違いなくおいしい。
予想を裏切るどころか、期待をはるかに上回る味だった。
翌日も出かけていって、とんかつを食べた。驚くべきはその値段。450円。小ライスを付けても630円。東京辺りの高級とんかつ屋と比べなければ、十分これはこれでおいしい。
その次の日は、あっさりとした味付けの、昔懐かしい中華そば500円也に舌鼓を打った。
数十年のブランクを一気に取り戻そうとしたわけでもないが、しばらくのあいだ通い詰める仕儀となった。
食堂好きの僕にはぴったりの店で、かつ主人の仕事ぶりも実に誠実で、申し分のない店である。
縁の不思議としか言いようがない。近くなのに遠い店があり、それはふとした拍子に近くなる。
更に不思議なことが続く。この「T」のすぐ近くにある和食屋とも、これを切っ掛けにして、急接近したのである。その話はまた次回に。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2018年9月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています