〈新〉の付く季節

食語の心 第18回 柏井 壽

食語の心 第18回 柏井 壽

食語の心 第18回

実りの秋。収穫の秋。種を蒔き、手塩にかけて育ててきた作物が、ようやく実を結び、収穫の時期を迎える。それと時を同じくして、天高く馬肥ゆる秋、も訪れる。おいしいものがそろう秋は、〈新〉の付く季節でもある。

代表的なのは新米。夏の終わりから秋口にかけて、料理屋の品書きに〈新米〉の文字が踊る。

炊き上がったご飯を食べて、古米と新米の違いは、さほど大きく感じられるものではない。きちんと保管されていれば、古米とておいしく、むしろ水加減を間違った新米などは、ベタベタで食べられたものではない。

新米は、用途によって向き不向きがあり、たとえば江戸前鮨のシャリには向かないと言われることが多い。きっと水分を吸い過ぎて、酢飯の味が整いづらいのに加えて、形が崩れるからだろう。

ちなみに、駆け出しの新人を、新米と呼んで、揶揄の対象にしたりするが、これは米の新米とは無関係で、新前という言葉が訛って新米となったようだ。だが、これを混同している向きは、時として新米を未熟な米だと思い込み、「やっぱり新米は味が薄いな」と言ったりしている。米には迷惑な話である。

米を主食とする日本人にとって、ご飯の炊き加減の好みは、まさに千差万別。硬めを好む人も居れば、柔らかめでないとダメという人も居る。後者は新米を喜ぶだろうし、前者は避けるだろう。

新米が優れているのでもなければ、ましてや劣っているのでもない。
要するに気分、なのである。秋が来た。収穫の季節だ。当然ながら米も同じだ。古いよりは新しい方がいい。新モノと思いながら食べるからおいしいのであって、実質的な旨さとは、また別の次元の話なのである。

8月の初めころになれば、宮崎産のコシヒカリが出回り始め、静岡産のナツシズカあたりが続く。初物を尊ぶ、日本人の気性にはぴったりだ。

初物を食べると三年長生きする。昔からそんな言葉が伝わっている。それは、どこかで地産地消と通底するものがあり、旬を重んじることにも通じる。
季節が巡り来れば、おのずとおいしい食が届く。それが瑞穂(みずほ)の国のありがたいところ。

同じく〈新〉が付く作物に、蕎麦がある。

―新そば入荷しました―
そんな蕎麦屋の貼り紙を見ると、蕎麦好きの血は騒ぐ。蕎麦好きでなくても、ちょっと食べてみようかと思う。〈日本三大始めましたモノ〉の一つが、この新そば。

後の二つは、冷やし中華とカキフライである。この三つの始めましたモノで、季節の移ろいを感じ取るのが、真の食通というものだ。

つい一週間ほど前にはなかった貼り紙に目を留め、口の中はすでに、新そばの香りがあふれ始めている。
新そばの香りと青さを楽しむには、やはり、せいろが一番。まずは目でその青さを確かめ、香りを楽しんでから、おもむろに箸を取り、蕎麦をつゆに浸してすする。これぞ新そばの醍醐味。

だが、その新そばの時期はいつか、と言えば、なかなかに悩ましい。
夏が始まって間もなく、―新そば始めました―の貼り紙を見掛けることがよくある。これは夏の新そば、通称〈夏新〉と呼ばれるもので、主に北海道産の蕎麦。品種で言うなら北早生(きたわせ)そば。富良野辺りで栽培されていた牡丹そばを品種改良したものだと言われている。

古くからの蕎麦通は、あまり食指が動かないようで、新そばと言えば秋。大方の蕎麦好きはそう言い放つ。夏の新そばが〈夏新〉なら、秋の新そばは〈秋新〉。初ガツオを珍重する江戸っ子などは
―秋新じゃなきゃ、新そばとは呼べねぇ―
となる。

季節で言えば、十一月ごろだろうか。目安としては、もみじが色づき始めたころ。もみじ便りが聞こえてくれば、そろそろ〈秋新〉が蕎麦屋に届く。

普段は、塩で食べる蕎麦など見向きもしないが、この〈秋新〉だけは別。草きれのような香りを味わうには、塩が一番。青みがかった蕎麦に、ぱらりと塩を振って、のど越しではなく、舌先で蕎麦の風味を楽しむ。
律儀に四季が巡ってくる日本ならではの〈食語〉の代表が新そばである。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2014年10月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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