かつおぶしの時代

食語の心 第94回 柏井 壽

食語の心 第94回 柏井 壽

食語の心 第94回

30年近くもむかしのことだが、『かつをぶしの時代なのだ』というエッセイを読んで、腹を抱えて笑ったことがある。
エッセイの名手として知られる、椎名誠の初期の作品だが、その個性的な視点には、ずいぶんと驚かされたものだ。

その内容は、と言えば。
「かつをぶしに偏愛をささげて40年。だし汁の味はもちろん、削った時の、薄桃色の優しく艶やかなひとひらふたひら。男らしい語感、凛々しいお姿。全面的にかつをぶしをお慕いする」

そんな軽妙洒脱なエッセイは、今読み返しても新鮮な文章だ。

ふつうの人間なら見過ごしてしまうだろう、些末(さまつ)なことに心を留めて書き綴ったエッセイには、大いに啓蒙された。
その後、自分でもエッセイを書くようになったが、こういう軽やかな文体はとても真似できるものではないと気付いた。

ところで、そのタイトルとなったかつおぶしだが、当時我が家にはかつおぶしを削る道具があって、時折食卓に登場した。
子どもにはその価値など分かろうはずもなく、そんな面倒なことをしなくても、削ったかつおを乾物屋で買ってくればいいではないか。あるいは、そのころ盛んに使われていた化学調味料を使えば簡単でいいのに、と思っていた。

その後は「出汁の素」なる粉末調味料が全盛となり、続いてペットボトルに入った液体の「出汁の素」も使われるようになり、削り器どころか、かつおぶしそのものも、おおかたの家庭から姿を消してしまった。

それゆえかどうか、は分からないが、近年はカウンター割烹で、料理人が客の目の前でかつおぶしを削り、出汁を引くというパフォーマンスが流行になっているようだ。
今の若い人たちは、かつおぶしに触れるのも初めてなら、削り器を見たこともないようで、盛んにこれをスマートフォンで撮影し、SNSに投稿するのだそうだ。

デジャビュ。その投稿写真を見て、以前にもこれとおなじような光景を見たな、と。

思い当たったのは、土鍋で炊くご飯だ。
その嚆矢(こうし)となったのは、京都銀閣寺畔で暖簾を掲げる「草喰(そうじき)料理」のお店。ご飯と目刺しがメインディッシュといううたい文句で一世を風靡した。
カウンター客の目の前にしつらえられた竈(かまど)に土鍋を掛け、そこで炊き上がったご飯を、土鍋ごと客に披露する。つやつやと白く輝くご飯からは、ゆらゆらと湯気が上がり、客はその瞬間を逃さじとばかり、カメラのレンズを向ける。

炊飯器で炊くなら、まだましなほうで、パックご飯で済ますような風潮がはびこる時代に、土鍋で炊き上げるご飯は、新鮮に映ったようで、またたく間に土鍋ご飯ブームが巻き起こった。
多くのカウンター割烹がこれを真似、炊く前の土鍋と、炊き上がったご飯の入った土鍋を、客の前でプレゼンテーションするのが、当然のようになってしまった。

本来は楽屋裏で行うことが、表舞台に出るようになったのである。
歌舞伎にたとえるなら、舞台の上で隈取(くまどり)するようなものだと思うのだが、食はエンターテインメントだとする風潮からすれば、さほど不自然に映らないのかもしれない。

その土鍋ご飯の延長線上に出現したのが、出汁取りである。
炊飯器以外でご飯を炊いたことがない人と同じく、粉末や液体調味料しか使ったことのない人には、かつおぶしを削って、出汁を引く様子など、まるでマジックを見るようなものなのだろう。

さらには、そうして引いた出汁に味を付けることなく、客に供し味見をさせる。
当然のごとく、客は感嘆の声をあげ、写真におさめ、SNSで投稿する。やがて、これを真似る店が次々と出現する。土鍋ご飯の次はかつおぶし削り、という図式だ。

これらが客に対する啓蒙となればいいのだが、どうもそうではないようで、土鍋でご飯を炊く家庭が急増したかと言えば、そんな様子は見られず、テレビの料理番組などでは、相変わらず「時短」を打ち出すことが少なくない。

かつおぶし削り器が爆発的に売れて品切れになる。というようなことにはならないだろうと思うが、料理の原点を見直すきっかけにはなる。次回はそんな話をしよう。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2021年6月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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