並ぶ器

食語の心 第105回 柏井壽

食語の心 第105回 柏井壽

食語の心 第105回

いつの間にか、京都の人気割烹店は、おまかせ料理一斉スタート方式が当たり前のようになってしまった。
大勢が集う宴席なら、それも仕方のないことだと思うが、隣り合った見ず知らずの他人と、同じ料理を同じペースで食べなければならないとは思わなかった。

どう考えても不思議なことなのだが、最近の食通たちはどうやら、好んでこの方式を選んでいるようだ。
予約困難と言われている割烹店の、ほとんどすべてがこの方式を採用しているから、いわゆる食通好みなのだろう。

本コラムを以前からお読みいただいている読者の方々は、先刻ご承知だと思うが、ぼくはこの方式が大の苦手なのである。
そもそも予約困難と言われた時点で、眼中から消え失せてしまう。
茶室のにじり口なら好んで入るが、あえて入り口を狭くして入りにくくしている店に、無理やり入ろうとは思わないのだ。

繰り返し書いてきたが、何を食べたいかなど、その日のそのときになってみないと分からないではないか。3、4日先ならまだしも、3カ月も4カ月も先にほんとうにその料理を食べたいと思っているかと問われると、まるで自信がない。
若いときなら、それを先の楽しみとすることもあるだろうが、古希も近くなると、ずっと先まで健康を保てているかどうかもアヤシイ。

では直前に予約が取れれば、喜んではせ参じるかと言われれば、それもまた否である。

たまに知人からピンチヒッターを頼まれることがある。予約困難で知られる人気割烹を予約していたが、急に都合が悪くなったので、代わりに行かないか、というお誘いである。

頼み、と言いながらその実、プラチナシートを譲ってやる、という態度が垣間見ることができる。その証しとも言えるのは、即答を求めてくることだ。不要ならほかに回す。行きたいひとはいくらでもいるのだから、と言外ににおわす。

当然のごとくぼくが辞退するには理由がある。目の前に器を並べられるのがいやなのだ。

今も、超がつくほどの人気割烹で、何カ月も先まで予約が埋まっている店で食事をしたことがある。10年近く前のことだが、そのときに感じた不快感から、この手の一斉スタート割烹を敬して遠ざけるようになった。

横に長いカウンター席のほぼ真ん中、主人が包丁を握る前の特等席に座った。
主人の口上から食事がスタートする。若い衆が両脇からサポートし、主人の料理が始まるのだが、一斉スタートだから、カウンター席を埋める客の人数分すべてを一度に調理する。

調理が済むころを見計らって、若い衆が器を並べ始める。
主人は出来上がった料理を器に盛っていく。そして人数分の料理が盛り終わると、順番に客の前に運ばれていく。

そのさまをじっと見ていて、ふと浮かんだ言葉は「配給」だった。

高校生のときに、学生食堂で昼食を摂ろうとすると、毎日のように目にした光景。それと大差ないのだ。
同じ料理が同じ器に盛られ、それを順番に受け取る。盛られた料理の中身は違っても、システムは学食も割烹も同じだ。

そのときから、一斉スタートの店に行かなくなった。

かつての割烹でこんな光景を目にすることはまったくなかった。いや、今でもぼくが好んで足を運ぶ割烹では、一度たりとも見たことがない。

カウンター席に客が座っている。そのうちのカップルが注文した料理が作られている。二人分の料理が出来上がり、カップルの前に運ばれた。
次はぼくの注文した料理だ。ぼくのために作られていく様子を目の当たりにし、生つばを飲み込んでじっと待つ。やがてぼくの前に料理が運ばれる。
これを繰り返すのが板前割烹と呼ばれる店の常道で、かつ醍醐味であり、最大の楽しみなのだ。

ここに至って、ようやくぼくも気付いた。今人気の予約困難な和食店は、割烹店とは別の存在なのだと。
むかしながらの割烹はオーダーメイドだが、今はやりの和食店は高級レディーメイドなのである。だから居並ぶ客の数の器を並べる。
「こんな料理を食べたいひと」と店から呼びかけられて、「ハイハイ!」と一斉に手を挙げ、そのなかで選ばれたひとだけが食べられる料理店だと解釈すれば合点がいく。

つまりこれらの店は、新しいジャンルの和食店の形態だと思えばいいのだとやっと気付いた。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2022年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。