Manufacture
「どうやら、君は私を必要としていないことがよく分かったよ」
ジュルヌ氏は、時計業界のゴッドファーザー的存在だった、スウォッチグループ元会長ニコラス・G・ハイエックに、こう言われたことがあると明かしてくれた。
「スウォッチグループのブランドと、特許の問題で裁判に発展したことがあったのですが、当時、ハイエック氏のオフィスに呼ばれてランチを共にしたんです。彼はメモを取りながら私の話を聞いていましたが、最後に言った言葉がこれでした。だから私も『その通り!』と答えたんです(笑)。ハイエック氏は、実にクレバーな人物で、周囲の有能な人材をうまくマネジメントしていました。彼らはハイエック氏に従順でしたから、逆に従わないで言い返してくる私のような人間が好きだったんだと思います。対抗してくるけれども、私のことは尊重してくれていたようです。だからこそ、係争中でもスウォッチグループ傘下のニヴァロックス社からヒゲゼンマイの供給を止めるようなことはしなかった。」
ヒゲゼンマイは精度調整の要となるパーツだが、製造が難しくサプライヤーもごく限られている。ニヴァロックス社はその最大手だ。これについても興味深いエピソードがある。
「初めての懐中時計を作る時、ヒゲゼンマイが必要ですから、ニヴァロックス社に電話をしたんです。電話口の営業部長は『20フランを封筒で送ってください』と言うのでそうしました。しばらくしたらヒゲゼンマイが送られてきましたよ」
現在では考えられないような、プリミティブとも言える取引が、クオーツショック後のスイスでは実際に行われていたのだ。
「ブランドを立ち上げてから、同じ営業部長とランチをする機会がありました。来年定年を迎えるという彼は『まだポケットウォッチ用のヒゲがご入り用ならお送りしますよ』と言ってくれました(笑)」
現在のF.P.ジュルヌには、このヒゲゼンマイを除き、文字盤からケースに至るほぼすべてを、自社内でまかなえる体制が整っている。 20周年を祝し、ブランド創立時のファーストモデル「トゥールビヨン・スヴラン」をアップデートするべく、今年1月に発表された「トゥールビヨン・スヴラン・ヴァーティカル」は、この完璧なマニュファクチュール体制の成果と言うべきものだ。
従来のトゥールビヨンとは異なり、トゥールビヨン・キャリッジを文字盤に対して水平ではなく垂直方向に設置することで、重力の影響を平均化する効果をさらに高めたことに加え、F.P.ジュルヌのトゥールビヨンらしく、ゼンマイからのトルクを一定に保って精度を高める複雑機構ルモントワール・エガリテも搭載。機械の完成度の高さは言わずもがな、エナメル製の文字盤も優美。ジュネーブ在住のエナメル師と、自社グループ傘下の文字盤ファクトリーが共同して作り上げたものだ。
20年という時間が、天才時計師にさらなる円熟をもたらしたことは間違いない。
※『Nile’s NILE』2019年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています