61歳のモノローグ F.P.JOURN

フランソワ‐ポール・ジュルヌが自身初の直営店を東京・南青山にオープンして15年が経過した。40代半ばだった彼は、還暦を超えてなお意気軒昂。時計づくりにかける変わらぬ情熱と、人生の終盤を視野に入れた、さらなる進化のシナリオ……胸の内を去来する思いを問わず語りで。

Photo TONY TANIUCH、Masahiro Goda Text Junko Chiba

フランソワ‐ポール・ジュルヌが自身初の直営店を東京・南青山にオープンして15年が経過した。40代半ばだった彼は、還暦を超えてなお意気軒昂。時計づくりにかける変わらぬ情熱と、人生の終盤を視野に入れた、さらなる進化のシナリオ……胸の内を去来する思いを問わず語りで。

独立時計師としての歩み

F.P.ジュルヌ初の直営店である東京ブティック
F.P.ジュルヌ初の直営店である東京ブティックは、根津美術館に近い緑豊かな地で15年の歳月を重ねた。店内は巨大な吹き抜けがあるメゾネットで、左右対称の二つの階段が威風堂々と配されている。「安藤忠雄氏の手によるすばらしい外観に私の世界観を融合させようと、シンボルとなる階段をデザインしました」とジュルヌ。

ジュルヌが独立時計師として頭角を現したのは25歳の時。独学でトゥールビヨンを完成させ、業界は度肝を抜かれた。今でこそコンピューターを使って、多くのブランドがこの機構をラインアップしているが、その端緒を開いたのはジュルヌだ。

また例えば1991年には、トゥールビヨンと主ゼンマイの力を一定に保つルモントワール機構を搭載した初めてのウォッチを製作。その8年後に「トゥールビヨン・スヴラン」を誕生させた。ブランドを立ち上げたのはこの時である。

ジョージ・ダニエルズのような時計師に

子どもの頃はバイクや自動車を分解し、組み立てては、どんな仕組みで動いているのかを見るのが大好きでね。それもあってか、親に連れられて、14 歳でマルセイユの時計学校に入学しました。そこで修理の技術を学び、「時計師になるのも悪くないな」と思ったことを覚えています。

でも残念ながら、勉強が嫌いで一般教養の授業になじめず、2年で退学してしまいました。その後、パリの時計学校に学びながら、叔父の営む修理工房で働きました。そこのサロンに集まるお客様の中に、懐中時計を身につけている方がいらして、しだいにそちらに目が引きつけられたのです。

特に衝撃的だったのは、イギリスのジョージ・ダニエルズという人がつくった時計です。調べてみたところ、彼は部品からすべて自分でつくり、オリジナルの時計を製作する唯一の時計師。自分もやりたい、彼のような時計師になりたいと強く思いました。

失敗は次のステップに進むための経験値

振り返れば、時計師になってゆく過程で、何と多くの失敗をしてきたことか。

例えば腕時計で最初にレゾナンスをつくった時がそう。ご存じのように、レゾナンスは二つのテンプに共振現象を起こさせることで、衝撃による誤差を最小限に抑える仕組みのことですが、これがうまくいかない。動かないんじゃないかと思うことすらありました。

不安になって友人に見せると、「いいよ、すごくよく動いているじゃないか」と言われました。それでいいと思う人もいるでしょうけど、私はそうじゃない。完璧な機構を求めているから、部品の形状や組み立て方などの実にデリケートで微細な差異をどこまでも追求しないと気がすまないんです。

以後も試行錯誤を重ねて完成させました。大事なのは、失敗する中でなぜ失敗したのかを考えることと、学ぶこと。そうすれば、次の時計をつくる時に、やっていいこと・いけないことの判断ができるようになります。使える技術と使ってはいけない技術とがはっきりしてくるのです。

パリで独立してからの10年、私は机の引き出しに「失敗ボックス」と名付けた箱を入れていました。そこに、失敗した部品を1年分ごとに小さなケースにまとめていたんです。

今は失敗した部品は捨てますが、新しいムーブメントをつくるたびに、小さなケースが一杯になるくらいの失敗部品が生まれます。新しい機構の発明は、常に多くの失敗の上に成り立っているのです。それらは単なる失敗作ではなく、次のステップに進むための経験値だと考えます。

1 2 3
ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。