独立時計師としての歩み
ジュルヌが独立時計師として頭角を現したのは25歳の時。独学でトゥールビヨンを完成させ、業界は度肝を抜かれた。今でこそコンピューターを使って、多くのブランドがこの機構をラインアップしているが、その端緒を開いたのはジュルヌだ。
また例えば1991年には、トゥールビヨンと主ゼンマイの力を一定に保つルモントワール機構を搭載した初めてのウォッチを製作。その8年後に「トゥールビヨン・スヴラン」を誕生させた。ブランドを立ち上げたのはこの時である。
ジョージ・ダニエルズのような時計師に
子どもの頃はバイクや自動車を分解し、組み立てては、どんな仕組みで動いているのかを見るのが大好きでね。それもあってか、親に連れられて、14 歳でマルセイユの時計学校に入学しました。そこで修理の技術を学び、「時計師になるのも悪くないな」と思ったことを覚えています。
でも残念ながら、勉強が嫌いで一般教養の授業になじめず、2年で退学してしまいました。その後、パリの時計学校に学びながら、叔父の営む修理工房で働きました。そこのサロンに集まるお客様の中に、懐中時計を身につけている方がいらして、しだいにそちらに目が引きつけられたのです。
特に衝撃的だったのは、イギリスのジョージ・ダニエルズという人がつくった時計です。調べてみたところ、彼は部品からすべて自分でつくり、オリジナルの時計を製作する唯一の時計師。自分もやりたい、彼のような時計師になりたいと強く思いました。
失敗は次のステップに進むための経験値
振り返れば、時計師になってゆく過程で、何と多くの失敗をしてきたことか。
例えば腕時計で最初にレゾナンスをつくった時がそう。ご存じのように、レゾナンスは二つのテンプに共振現象を起こさせることで、衝撃による誤差を最小限に抑える仕組みのことですが、これがうまくいかない。動かないんじゃないかと思うことすらありました。
不安になって友人に見せると、「いいよ、すごくよく動いているじゃないか」と言われました。それでいいと思う人もいるでしょうけど、私はそうじゃない。完璧な機構を求めているから、部品の形状や組み立て方などの実にデリケートで微細な差異をどこまでも追求しないと気がすまないんです。
以後も試行錯誤を重ねて完成させました。大事なのは、失敗する中でなぜ失敗したのかを考えることと、学ぶこと。そうすれば、次の時計をつくる時に、やっていいこと・いけないことの判断ができるようになります。使える技術と使ってはいけない技術とがはっきりしてくるのです。
パリで独立してからの10年、私は机の引き出しに「失敗ボックス」と名付けた箱を入れていました。そこに、失敗した部品を1年分ごとに小さなケースにまとめていたんです。
今は失敗した部品は捨てますが、新しいムーブメントをつくるたびに、小さなケースが一杯になるくらいの失敗部品が生まれます。新しい機構の発明は、常に多くの失敗の上に成り立っているのです。それらは単なる失敗作ではなく、次のステップに進むための経験値だと考えます。