桝田兆史さんが料理人を志したのは高校2年生の頃。俳優の萩原健一さんが小心で純朴な板前を演じたテレビドラマ『前略おふくろ様』の世界に憧れてのこととか。
もちろん現実は、憧れだけでやっていけるほど甘くない。辻調理師専門学校を経て入ったリーガロイヤルホテルの「吉兆」(現・神戸吉兆)では、厳しい修業の日々。それでも「日本一の料亭で働かせてもらっている」誇りを胸に頑張り、追いまわしから漬物や煮方、八寸場、造りの二番手と順調に“出世”し、5年目には焼き物や揚げ物の一番上の仕事をさせてもらえるようになったという。
「その頃ですね、ぼちぼち店を移るのもいいかなと考え始めたのは。実は前に先輩に連れられて行った京都の割烹の雰囲気に引かれるものがあって、次はカウンタースタイルのお店で働いてみたいと思っていたんです。それでミナミの榎里という割烹を紹介していただきました」
二番手で入った桝田さんは、最初は相当戸惑ったようだ。
「そもそもコース料理ではなく、メニューはすべてアラカルト。料理を準備しておくことはできず、接客しながらおすすめを提案するなど、当意即妙の対応が必要です。加えてお客様は、接待とか同伴の方が多いので、スピードが求められます。とくに2年目に料理長になってからはバブル絶頂期でもあり、目の回る忙しさでした」
そうして「いつの間にか15年」経った頃、女将さんがご高齢で引退し、店を閉めることになった。それを機に桝田さんは、独立を決めた。