ボジョレーの帝王に謁見して

ボジョレーワインの立役者、ジョルジュ・デュブッフ。1988年に氏と面会した際のエピソードをまつなみ靖が振り返る。

Text Yasushi Matsuami

ボジョレーワインの立役者、ジョルジュ・デュブッフ。1988年に氏と面会した際のエピソードをまつなみ靖が振り返る。

ボジョレー・ヌーボー解禁!」「ボジョレーワインの基礎知識」から続く

ジョルジュ デュブッフ氏

筆者は、1988年にボジョレーを訪ね、ジョルジュ デュブッフ社を取材したことがある。2020年に残念ながら鬼籍に入られた創業者ジョルジュ・デュブッフ氏にもお目にかかった。

「“ボジョレーの帝王”だとか、皆さんが好きなようにお呼びになればいいですが、私自身はそんなことを意識したことはありませんよ」
 
デュブッフ氏は、そう言って肩をすくめてみせた。その風貌からは、「帝王」という言葉が持つ傲慢なニュアンスや、一代で世界的な企業を築いた奢おごりのようなものは、微塵も感じられなかった。誠実な哲学者のようなオーラを放っていたように記憶している。
 
デュブッフ氏は、1933年ボジョレーに隣接するマコン地区生まれ。実家はわずか7ヘクタールの零細な白ワイン農家だったという。18歳で学業を終えると、自身のワイン造りを目指し、試行錯誤を繰り返しながら自分で造ったワインを瓶詰めし、販売を始める。地元の生産者との関係を広げ、徐々にビジネスを大きくした彼は、64年にジョルジュ デュブッフ社を設立。ボジョレー・ヌーボーの解禁日が制定されて13年が経っていたが、3年後の67年に11月15日が解禁日に改められると、この祝祭イベントはボジョレー周辺からパリへ、そして海外へと広がり、これに合わせて事業を拡大。ボジョレー地区の生産者の約3分の1を傘下に収める一大ネゴシアンへと成長を遂げる。この間に、フレンチガストロノミー界の“帝王”的な存在となるリヨンのポール・ボキューズ氏が、そのワインを気に入り、二人はお互いをリスペクトする生涯の友になっていく。
 
デュブッフ氏のテイスティングの様子も印象深い。彼は、毎朝5時半に出社し、朝、昼前、夕方の3度にわたりテイスティングを行っていた。その数、1日に300種。その全ての特徴を瞬時に捉え、記憶し、どうブレンドすれば最良の結果が得られるかを判断する。その能力ときたら、だれにもまねのできないものと舌を巻いた。

「取り立てて天才的なことではありません。俳優が台詞を覚え、マラソンランナーが時速20㎞で走れるのと同じように、仕事に厳しく向き合っているだけです。ワインは1年に一度しか造ることができない。だから細心の注意と努力を傾けなくてはいけないし、情熱を注ぐ価値があるのです」

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ラグジュアリーとは何か?

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