1990年代に京都で初めて日本酒に出合って以来、敬愛の念を持って日本酒に対する見識を深めてきたというリシャール・ジョフロワ氏。
曰く、「日本酒への理解が愛に変わるにつれ、日本酒の素晴らしさはもっと広く世界に知られるべきだという気持ちが強くなっていきました。同時に、何か自分にできることがあるのでは、と思い始めたのです」と。
その結果、彼が選んだのは、これまでの経験と知識を生かして日本酒を造り、世界に発信していくということだった。なぜなら、日本酒には大きなポテンシャルがあると確信していたから。しかし、複雑な工程を踏む、伝統技術の粋である日本酒を一人で造れるわけではない。
パートナー探しに行き詰まり、ドン ペリニヨンの仕事で何度もコラボレートした建築家の隈研吾氏に相談したところ、富山の満寿泉の蔵元・桝田酒造店5代目当主である桝田隆一郎氏を紹介され、意気投合。プロジェクトがようやくスタート地点に立った。
蔵は酒造りにとって母体となるところ。だからこそ、その設計は迷わず隈氏に依頼した。
隈氏は、その時の気持ちを「リシャールの、医学の博士号を持つアカデミックなアプローチと、アーティスティックで鋭い感性が合わさるとどんな酒ができるのかとワクワクしました」と振り返る。
その後、二人で各地を見て回り、立山連峰を望む風光明媚な場所に魅せられ、立地は即決。そして、その時に富山の南砺(なんと)で見た、一つ屋根の下で人と蚕などが暮らす大きな農家を蔵のモチーフにしたという。
「ワインにテロワールが重要なように、日本酒もこれからはそれを生む場所との結び付きがますます重要になるでしょう。そのベンチマークとして、この仕事に関わりました。蔵が完成した今、場所の持つ潜在力が一つの象徴として立ち上がったと感じています。この土地を選んで間違いなかったと確信しました」とは隈氏の弁だ。
さて、その蔵で造り出される日本酒、IWAはこれまでの日本酒とどのように違うのだろうか。ジョフロワ氏は語る。
「私が求める日本酒は、調和のとれた、複雑さとバランスのよさを持った酒です。もちろん、私は杜氏(とうじ)になれるわけではありません。理想にたどり着くには、複数の酒米と酵母による酒をアッサンブラージュするという、従来の日本酒造りには用いられなかった技法が必要でした。で、杜氏と緊密に連携しながら醸された酒をブレンドし、リザーブワインならぬ、リザーブ日本酒を加えるなど、シャンパーニュ造りの神髄ともいえるテクニックで、IWAを仕上げていきました」と。
結果、出来上がったIWAは繊細ながら、味に厚みのある、階層のある複雑さと、余韻の長さを併せ持った、これまでにはない、革新的な日本酒になった。
初めてIWAを飲んだ時の感想をジョフロワ氏に聞いてみた。
「何年もかけて、チームを組み、ブランドを作り、蔵を造り、やっとたどり着いたわけですから、完成したIWAを飲んだ時は、言葉で表現できない感慨深さでした。けれどIWAは実験的な酒です。これに満足することなく、毎年新たなアッサンブラージュ を造り、さらなる進化を続けていくつもりです」と意欲的だ。
その楽しみ方は、これまでの境界を取り払った酒だからこそ、実験的にいろいろなものに合わせて楽しんでほしいという。コース全体を通して楽しむことができ、どのような料理でも受け止めるだけの懐の深さを持った酒であるとも。
IWAは真の意味で、世界に開かれた酒なのである。
※『Nile’s NILE』2022年3月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています