神の子羊
ヨーロッパの絵画や彫刻で私たちは、数多くの「羊」に出会います。それは野生の獣としての「羊」ではなく、象徴として表されてきた「羊」です。ヨーロッパのキリスト教文化において、「羊」とは、神やイエス・キリストによって導かれる信者を表すのみならず、「犠牲となりながら復活する」イエス・キリストと重ねられてきました。「ヨハネ福音書」では、イエス・キリストが「私は善き羊飼いである」と語ると同時に、イエス自身が世の罪を取り除く「神の小羊(アグヌス・デイ)」であると語られています(アンドレア・デッラ・ロッビア「神の子羊」1487年)。それはなぜでしょうか。
今からおよそ2000年前、古代ローマがヨーロッパから小アジア、アフリカまでを支配したとき、イエス・キリストは、ローマの権力によって磔に処せられました。人間の皇帝崇拝をむねとするローマ帝国。それにたいしてナザレの人イエスは、超越する唯一の創造神の恩寵と、それへの信仰を説き、みずからも奇跡を示しました。水をワインに変え、籠を魚で満たし、死者を復活させもしました。
このおこないによってローマからは怪しまれ、遂には罪の人として捕らえられました。茨の冠を被せられて、二人の盗人とともに、ゴルゴタの丘で十字架に架けられるという非情なるものでした。そう、キリスト教では、「羊」が「キリスト」の象徴であるのは、その両方ともが犠牲となるもの、つまりイエスにおいては「人間の罪を除くための神への犠牲となる」ものだからです。先史時代から「羊」文化の人々は、羊を神に捧げ犠牲として祀りましたが、旧約聖書にもそれがしるされており、ユダヤ(イスラエル)の人々の文化において、神へ捧げられるべき代表的な犠牲獣が「羊」でした。
しかしそれはたんなる犠牲ではありませんでした。その生命力において、輝くフリースによって、「羊」は「復活する」と信じられたのです。キリストは3日後に「復活」を遂げます。キリスト教図像では、墓を警護していたローマ兵が眠っているあいだにキリストが墓から立ち上がり勝者として旗を掲げている姿で描かれてきました。
この犠牲から復活へ、の奇跡への想いは、幻想ではなく、実際に1万年の「羊」との関係を築いてきた人間たちの確信であったのです。