「黄金の生命」としての羊
祈りと再生のシンボル

多摩美術大学名誉教授・芸術人類学者
鶴岡真弓

多摩美術大学名誉教授・芸術人類学者
鶴岡真弓

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    ギュスターヴ・モロー「イアソンとメディア」
    1865年(フランス・パリ オルセー美術館) ©The Bridgeman Art Library/アフロ
    アポローニオス・ロディオスの叙事詩、「アルゴナウティカ」での一場面。鷲の姿のグリフォンを足元に、イアソンが金羊毛を掲げ、メディアの後ろには、羊の頭を供えている。
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    アンドレア・デッラ・ロッビア「 神の子羊」
    1487年(イタリア・フィレンツェ ドゥオーモ博物館)
    ルネサンス期のイタリア人彫刻家、アンドレア・デッラ・ロッビアが手がけた「フィレンツェ羊毛組合の紋章」。
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    ファン・エイク兄弟 「ゲントの祭壇画」
    1432年(ベルギー・ゲント 聖バーフ大聖堂) ©lucasweb.be
    複数のパネルで構成された高さ3.75m、幅5.20mの巨大な祭壇画。上段中央には、左から聖母マリア像、父なる神にして子なるイエス・キリスト像、洗礼者ヨハネ像がそれぞれ1枚のパネルに描かれている。下段に描かれているのが、P1で紹介した同祭壇画の中心テーマ「神秘の子羊の礼拝」。キリストの復活と再生の物語を表している。
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神の子羊

ヨーロッパの絵画や彫刻で私たちは、数多くの「羊」に出会います。それは野生の獣としての「羊」ではなく、象徴として表されてきた「羊」です。ヨーロッパのキリスト教文化において、「羊」とは、神やイエス・キリストによって導かれる信者を表すのみならず、「犠牲となりながら復活する」イエス・キリストと重ねられてきました。「ヨハネ福音書」では、イエス・キリストが「私は善き羊飼いである」と語ると同時に、イエス自身が世の罪を取り除く「神の小羊(アグヌス・デイ)」であると語られています(アンドレア・デッラ・ロッビア「神の子羊」1487年)。それはなぜでしょうか。

今からおよそ2000年前、古代ローマがヨーロッパから小アジア、アフリカまでを支配したとき、イエス・キリストは、ローマの権力によって磔に処せられました。人間の皇帝崇拝をむねとするローマ帝国。それにたいしてナザレの人イエスは、超越する唯一の創造神の恩寵と、それへの信仰を説き、みずからも奇跡を示しました。水をワインに変え、籠を魚で満たし、死者を復活させもしました。

このおこないによってローマからは怪しまれ、遂には罪の人として捕らえられました。茨の冠を被せられて、二人の盗人とともに、ゴルゴタの丘で十字架に架けられるという非情なるものでした。そう、キリスト教では、「羊」が「キリスト」の象徴であるのは、その両方ともが犠牲となるもの、つまりイエスにおいては「人間の罪を除くための神への犠牲となる」ものだからです。先史時代から「羊」文化の人々は、羊を神に捧げ犠牲として祀りましたが、旧約聖書にもそれがしるされており、ユダヤ(イスラエル)の人々の文化において、神へ捧げられるべき代表的な犠牲獣が「羊」でした。

しかしそれはたんなる犠牲ではありませんでした。その生命力において、輝くフリースによって、「羊」は「復活する」と信じられたのです。キリストは3日後に「復活」を遂げます。キリスト教図像では、墓を警護していたローマ兵が眠っているあいだにキリストが墓から立ち上がり勝者として旗を掲げている姿で描かれてきました。

この犠牲から復活へ、の奇跡への想いは、幻想ではなく、実際に1万年の「羊」との関係を築いてきた人間たちの確信であったのです。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。