まるで嵐のような天気の中、綾の森へ向かった。歩けるのかと不安がよぎったが、車を走らせるうちに雨は小降りになり、それと比例して、まだ見ぬ森へのワクワク感が高まったのだった。
千尋の滝
最初の“行き先”は千尋(せんぴろ)の滝。照葉樹林が育む豊かな水の象徴だ。「すぐそこ」と言われていたが、けっこう急でハードな下りだった。ただ不思議と、ぬかるんでいない。それだけ森はスポンジのように雨を吸収する土壌浸透力が高いのだろう。
ここでは川沿いによく生えるタニワタリノキやカンザブロウノキが見られた。また大型のシダや、雨が降るとキノコも出てくるとか。谷から上がって、改めて向こう岸に広がる森を眺める。かつてのトロッコ道から下の辺りが、150年から200年の原生林で、木々が太くクネクネした枝を広げる原始的な姿をとどめる点が特徴的。やがて樹木にくっついて生活する着生植物、特にランが増えるという。
綾の森には確認されているだけで、146科848種の野生植物が自生。内、照葉樹林構成種は263種で、高木においては日本全土で見られる25種中24種が生育しているそうだ。
照葉樹林文化論
ここで少し、照葉樹林について説明する。照葉樹は常緑広葉樹の一種で、肉厚の葉の表面がピカピカ光って見えることから、その名がついた。巨木には、寒さに強いタブノキや伊勢神宮に代表される仏教伝来以前の鎮守の森のご神木として知られるイチイガシ、比重が重くて堅いイスノキを始め、スダジイ、コジイ、ヤブツバキ、ウラジロガシ、カゴノキなどがある。また中低木にはサカキ、サザンカ、アオキなどが、草木にはコバノカナワラビ、ハナミョウガ、ガンゼキランなどがあり、実に多種多彩である。こういった常緑樹の中に一部、ムクロジのような落葉樹が混じっているのが、日本の照葉樹林の特徴だという。
照葉樹林帯というのはヒマラヤの南麓部からアッサム、東南アジア北部山地、中国雲南高地、揚子江南側の山地を経て西南日本に至る。これらの森林には似通った文化要素が多数存在することから、共通の起源を持つのではないかとする仮説がある。「照葉樹林文化論」だ。
例えば繭まゆから絹を作る技術や漆の文化、鵜飼いの習俗、イモ類やアワ、ヒエ、陸稲などの雑穀を栽培する焼き畑農耕が共通するし、食文化にしても麹による酒造りとか、味噌、納豆、醤油といった発酵食品、コンニャクなど、照葉樹林帯に特徴的なものが多い。
そういった生活文化が営まれていたのが、まだ縄文時代のころであることを考えると、照葉樹林文化は稲作文化に先行する、日本文化の原点とも言えるのではないかと考えられている。
つまり照葉樹林は、人々の暮らしと文化を支える根源的な力を有している。綾町はその力を文明や資本の論理に侵食されるに任せず、営々と保存してきた希有な地域なのだ。