「すいかを食べると思い出すことがある。九歳の夏のことだ。母の出産のあいだ、私は夏休みを叔母の家にあずけられてすごした。両親と離れるのははじめてのことだった。」
『すいかの匂い』の冒頭の文章である。主人公がすいかを食べたときの記憶を生々しく思い出す、鮮烈な感覚とともに物語は綴られていく。
そう話す江國さんにも、すいかにまつわるさまざまな記憶があるという。
「すいかの皮の内側の、うす緑色の部分を母がいつもごく浅い塩漬けにしてくれて、それをのせたお茶漬けを食べるのがたのしみだったこと。温かいごはんに冷たいお茶でもおいしいですが、個人的ベストは冷やごはんに白湯!
それから、私のすいか好きを知っていた女友達が、私の結婚のパーティーに、フレッシュなすいかジュースを(それは2月だったのに!)サプライズで用意してくれたこと。
海外の屋台のすいかジュースは大抵ぬるくてあまりおいしくないとわかっているのに、見るとどうしても買ってしまうこと、それでもてあますのに、翌日も(別の屋台で)やっぱり買うこと。そういうあれこれを、毎年、夏にすいかを食べるたびに思い出すんですよね」
江國さんにとって、すいかは特別な存在だ。
「すいかは夏を象徴する果物であるだけじゃなく、身近なものなのに特別感があり、大きさも色も、はっきり言って風変わりだから。それに、すいかの匂いには、淡いかなしみが感じられると思います」
すいかだけでなく、きゅうりのサンドイッチやじゃこじゃこのビスケットなど、江國さんの作品には食べるシーンが多い。
「食べ物を描写することは、登場人物の生活スタイルのみならず、過去や性格の一端まで見せることだと思っています。読むひとの五感に訴えるチャンスでもあります」と江國さん。彼女のなかで、食と人の記憶はしばしば対になっている。
「フレンチトーストを食べると父を思い出しますし、ライチを食べると、高校時代の友人を思い出します。彼女はお弁当の食後用によく凍ったライチを持ってきていて、お昼休みにちょうど溶けて食べごろになるのでした。
「白玉は故灰谷健次郎さんを思い出させますし※、日本酒のお燗をつけると、父のためにお燗をつけた子供の頃を思い出します。外から中身が見えないのに、ぐあい良く温めるのは本当にむずかしくて……。
%#8251;編集注 江國さんがその昔、灰谷さん宅に泊めていただいたときに、甘いものが食べたくなったのでコンビニへの行き方を教えてほしいと言ったところ、灰谷さんが手早く、そして美味な白玉小豆を作ってくださったのだとか。
そして、旅先の朝食はいつも私に基本の自分を思い出させてくれます。いまよりずっとたくさん旅をしていたころ、自由をあたりまえだと思っていたころのことを」
だからこそ、江國さんは食をとても大切にしている。料理をする時間、あるいは外食をするときの店の選定も含め、「食べることにどのくらいの注意を払うかは、人生の重大事だと思っています」と言う。
「食べ物は肉体のみならず精神もつくりますし、そしてそれ以上に、食事は豊かな時間をつくる。だから、誰と何を食べるかは本当に大事。たとえ茹で卵一個だけのひとりきりの昼食でも、よーく考えて決めます。茹で加減はどうするかとか、塩にするかマヨネーズにするかとか」
新しい作品は、言葉から思いつくことが多いと話す江國さん。ちなみに、「すいか」という言葉にも、特別な感情を呼び起こすものがある。
「英語でwatermelon、フランス語でmelon d′eau(pastèqueともいうそうですが)というところも好きです」