第2次世界大戦中のホロコーストに関わる1961年のアイヒマン裁判の後に、当時の外務大臣ゴルダ・メイア(後に女性初として第5代首相となる)による「私たちがされたことが明らかになった今、私たちが何をしても、世界の誰一人として私たちを批判する権利はない」という言葉が息を吹き返し、イスラエル人の認識を大きく変えることになった。
2005年8月、イギリスの芸術家であるバンクシーはこの分離壁を訪れ、イスラエル兵に銃を向けられながらも「花束を投げる少年」を始めとする数々の壁画を描き、「強者と弱者の争いから手を引けば、強者の側につくことになる。中立ではいられない」という言葉も残した。
2014年、エルサレム南西のバティールに残る段々畑が文化的景観としてユネスコの世界遺産に緊急登録されたのは、分離壁建設計画で景観が破壊されるという危惧からだった。オリーブやブドウの生産が盛んな土地で、石を積み上げた棚の畑や地下水を利用する灌漑システムは現在も使われていて、貯水池では子供たちが水遊びをしていた。
「ヨルダン川西岸をゆく 後編」へ続く