ヨルダン川西岸をゆく 中編

ヨルダン川とイスラエルの間にあり、パレスチナ自治区の一部を成すヨルダン川西岸地区。世界で最も低い土地に1万年前から文明が花開き、欧米列強に翻弄されながらも、たくましく生き続ける人々がいた。

Photo Chiyoshi Sugawara Text Chiyoshi Sugawara

ヨルダン川とイスラエルの間にあり、パレスチナ自治区の一部を成すヨルダン川西岸地区。世界で最も低い土地に1万年前から文明が花開き、欧米列強に翻弄されながらも、たくましく生き続ける人々がいた。

ヨルダン川西岸をゆく 前編」から続く

パレスチナとイスラエル

分断
(左上)バンクシーの絵でも知られるベツレヘムに近い分離壁。高さ8m の壁のパレスチナ側には、パレスチナの自由や平和を求める多種多様のメッセージが描かれている。(左下)民家の軒先に迫る壁。「風船と少女」シリーズは、バンクシーを世界的に有名にした作品である。
(右)上に有刺鉄線の忍び返しがついた高さ8mのコンクリートの分離壁が続き、壁の内外では景観が一変する。監視塔のある壁の通過ポイントでは激しい交通渋滞が起こる。

エリコから西に向かう道は一気に高度を上げる。エルサレムまでは36km。羊の群れが草をはむのどかな丘陵地帯の連なりとアーモンドの花が咲き乱れる穏やかな風景は、有刺鉄線に囲まれた検問所や点在する高いコンクリートの塀に囲まれた集落へと変へん貌ぼうを遂げる。

1967年以降に始まったユダヤ人入植地で、西岸地区に150あまり。また64%はアクセスが制限されたイスラエルの管理地域だ。さらにイスラエル政府が「テロから守る防護壁」と呼ぶ分離壁が西岸地区を取り囲むようにイスラエルとパレスチナを隔てている。延長709km、高さ8mの壁は入植地を恒久化し、パレスチナ人の生活を分断して民族の自決を損なっているとして国連は非難決議をしている。「私たちはきっと故郷に戻る」と書かれた大きな鍵のモニュメントは、家を奪われたパレスチナ人たちの悲願の象徴だ。

鍵
家の鍵のシンボル。故郷を奪われたパレスチナの人々の願いは遠のくばかりである。

問題の発端は紀元前のローマ帝国によるエルサレムの征服とユダヤ人の追放で、ユダヤ人たちは世界中に離散した。だが彼らにとってパレスチナの地は旧約聖書の創世記に記された「神に与えられた約束の地」であった。時を経て、第1次世界大戦におけるイギリスやフランスによる三枚舌外交がさらに事態を悪化させた。それでも1947年の国連によるパレスチナの分割決議を経て、1993年のオスロ合意によってパレスチナの暫定自治が認められ、和平交渉が始まった。しかしこの合意に尽力しノーベル平和賞を受賞したイスラエルのラビン首相は、合意に反対するイスラエル人の若者によって暗殺され、和平は決裂した。

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ラグジュアリーとは何か?

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