「自然とは、野生とは、人間とは」を突き付ける

本の食べ時 第5回 君島佐和子

本の食べ時 第5回 君島佐和子

冒頭の鹿撃ちの描写は圧巻。透徹した厳寒の空気と緊張感が張り詰める中に銃の音や鹿の倒れる音が聞こえてくる。仕留めるや即座に解体して、雪の上に臓腑(ぞうふ)を並べ、肝臓の端を切り取って口へ放り込む、その温度、血の味までもが、読んでいる自分の体内に広がるかのようだ。

著者の河﨑秋子氏は北海道別海町の酪農家に生まれ、羊の飼育に携わりながら小説を書き始めたという。ニュージーランドで1年間、住み込みで牧羊を学んだ経験も持つ。朝日新聞デジタル「好書好日」の記事(2023年12月12日)で「かつて私もいた畜産の場では、肉にするために大事に育てて、出荷する。でも、令和の消費者は、食べるために肉を得ることを完全にアウトソーシングして生きている」と語っているが、都市生活者の多くは、目の前の食材がどのようにして「食材」となり、ここへ届けられたかを知らない。動物にせよ、植物にせよ、「食材」となる前はすべからく「生き物」だったにもかかわらず、「生き物」を食う行為であるとの認識は薄い。そもそも「食材」という呼び方自体が人間中心の呼称であることに気付くべきだろう。「生き物」を「食材」として捉えていると、人間中心の操作をするようになる。それは人類の生存を支える優れた栽培技術や飼育技術である半面、「生き物」本来の姿を見失う危険と隣り合わせでもある。自然と乖離(かいり)した現代人から見る本書の主人公の姿は常軌を逸しているようで、しかし、失ってはいけない野性が人間にも宿り得ることを見せつけて、「お前ら、それでいいのか」と言われている気分になる。

本書前半の山場は2頭の熊との三つどもえ、その勝者の熊との死闘が後半の山場だ。主人公は熊と対峙(たいじ)してきた証しとして、熊に倒されて絶命することを願うが、逆に熊を倒して呆然(ぼうぜん)となる。「人にも熊にもなれんかった。ただのなんでもねぇ、はんぱもんになった……」。野生の領域で生きられない彼に人の世は生き難い。

気候危機、環境危機が叫ばれるだけに、自然と人間、野生と人間の共存とは何かを考えずにいられない。

君島佐和子 きみじま・さわこ
フードジャーナリスト。2005年に料理通信社を立ち上げ、06年、国内外の食の最前線の情報を独自の視点で提示するクリエイティブフードマガジン『料理通信』を創刊。編集長を経て17年7月からは編集主幹を務めた(20年末で休刊)。辻静雄食文化賞専門技術者賞選考委員。立命館大学食マネジメント学部で「食とジャーナリズム」の講義を担当。著書に『外食2.0』(朝日出版社)。

※『Nile’s NILE』2025年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「Nileport」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。