ほんとうの意味での食通とは、読んで字のごとく、食全般に通じていることを言い、いくら店情報に通じていても、幅広い食の知見を持っていなければ、食通などとはとても言えないのだが、今の時代はメディアも店情報ばかりを垂れ流すので、店情報通がすなわち食通だと思い込んでしまうわけだ。かくして本来の飲食店の姿が隅っこに追いやられ、流行に乗る店ばかりが持てはやされる時代になってしまい、その一因となっているのは、フーディーたちのスタンスだ。
今どんな飲食店が流行っているか、これからどんな店が流行るかばかりを追いかけ、いつしか食の本質を見失ってしまった人たちはしかし、自分たちこそが、食の業界をリードしているという自負があるようで、自分たちの尺度に合った料理人や店を強く「推す」のも特徴のひとつだ。自らそれらをフーディー好みと呼び、お墨付きを与えると、信奉者たちが追随するというパターンは、年々顕著となっている。
何度も書いていることだが、ほんとうの意味での食通と、飲食店情報通とは、根本的に異なるのだが、一般人からはおなじに見えるようで、人気店と親しい=食通という図式になってしまう。これは危うい話で、予約の取れないような人気店の主人を愛称で呼んだり、親しげなツーショットや、おなじポーズを取る写真を撮ったりすることで親しさを強調するわけだが、それはつまり「そっち側」の人間だという証左にもなってしまう。
食べるプロとして評論する側の人間は、本来「こっち側」、つまり消費者側の代表でなければならないのだが、飲食店側に付いてしまっているのだ。身内同然の店に対して評価が甘くなるのは当然のことで、いつもほめちぎっているのはそれゆえのこと。厳しい言い方をすれば、アイドルの追っかけと大差ないのだが、なぜか官までもが過剰評価して、フーディーにアドバイスを求めたり、イベントに担ぎ出したりするに至っている。
冒頭に書いたように、食の流行を追いかけている程度なら、苦笑いで済ませることができるが、食文化を曲解させるに至っては、傍観しているわけにはいかない。フーディーを自任するのであれば、きちんと食文化を学び、正しい知識を発信して欲しいものだが、飲食業者となれ合っているようでは、期待はできないだろう。真のフーディーが出現することを期待してやまない。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2024年9月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています