歴史
平清盛と「五頭の羊」
仏典が外来なら中国の故事も外来だが、日本史の中に権力がらみのきわどい羊のやりとりがあった。
鎌倉時代の歴史書『百練抄』の承安元(1171)年7月に、「入道が羊五頭と麝一頭を上皇に進めた」という記事がある。入道は平清盛、上皇は後白河。となればこれはただのプレゼントであるはずがない。『平清盛 福原の夢』の著者高橋昌明氏は、ここに清盛の政治メッセージを読み解いた。「五頭の羊」には、中国春秋時代の百里奚(ひゃくりけい)の故事がたくされているというのだ。
虞の臣だった百里奚は晋に敗北して捕虜となったが、彼の賢哲ぶりを知った秦の穆公(ぼくこう)が羖羊(こよう、黒羊の牡)の皮五枚で身柄をあがない、国政をあずけた。百里奚は徹底した徳政をおこない、やがて秦の宰相になったという故事である。
中国ではまた、地位や政権を争うことを「中原に鹿を逐う」という。「鹿」は「帝位」を意味するが、これが清盛の進物のなかの麝(ジャコウジカ)に相当する。
おりしも清盛は、娘徳子入内(じゅだい)にむけてもうひと攻勢かけようとしていた。そこで上皇が喜びそうな外国の珍獣羊五頭とを組みあわせた。メッセージはこうなるという。
「私は保元の乱で帝位の安泰に貢献した。今後も王権を支えるもっとも有能な臣下となるでしょう」
ちなみに、羊は3カ月後に返却された。「入内の件はいったん白紙に」ということらしい。
これもまた、たしかに人類史のひとコマであるにはちがいない。