ガストロノミーツーリズムという言葉がもてはやされはじめて久しい。美食を求めての地方旅、といった意味合いだろう。いわゆる食通、美食家と自任するひとたちが提唱し、それに地方自治体が乗っかる、という図式が、日本中のあちこちで広まっている。官民あげての流れは急速に広がりを見せているのだ。
おらが村や我が町にひとが来ないのは、美食家の眼鏡にかなう店がないからだ。そう思いこんで、東京から美食家として知られたひとたちを招いてレクチャーを受ける。星付きレストランのシェフや、テレビでもよく見かける有名料理人たちがシンポジウムを開き、コラボ料理を披露したりする。こうして世界の富裕層誘致のためのお膳立てができ、地方活性化の夢がふくらむ。
北陸新幹線延伸でスポットライトを浴びている福井を筆頭に、富山、三重、宮崎、高知など、日本のあちこちでこんな動きが目立っていて、それらの仕掛け人はと言えば、決まって東京在住の料理評論家やコンサルタントたちである。つまりは東京目線であることが、今のガストロノミーツーリズムの大きな特徴だ。
世界に冠たる美食都市である東京には、ありとあらゆる世界の食が集まり、そのなかでも名だたる店を、連日連夜食べ歩いている東京の美食家たちが進言するのだから、その内容は推して知るべし。東京を基準にした美食、東京人が好む食を目指すことになる。イノベーティブ、フュージョンと呼ばれるような革新的なレストランが、ガストロノミーツーリズムの中核を成すのはそのせいだ。
東京の美食の手本となっているのは、サンセバスチャンに代表される地方にありながらとがったレストラン。そういう店を地方に造れば、世界中から美食家が集まり、ひいてはその地の知名度が上がり、観光客でにぎわうようになる、というもくろみのようだ。
はたしてそんなにうまくいくのだろうか。
過去に似たようなことがあったのを思い出した。団体旅行から個人旅行へとシフトしはじめたころ、温泉地などの高級旅館は、夕食をどうすべきか模索していた。そのときも今とおなじような機運が高まり、うまい料理を出す旅館があれば、その地域はにぎわうに違いない。そして全国のうまいもの好きの客を呼ぶには、京懐石が一番だ。そう進言するコンサルの言葉にしたがい、多くの旅館が京懐石の夕食にシフトした。
「京都の料亭で修業を積んだ料理長が、季節の食材を雅やかな京懐石に仕上げる夕食を、当地の地酒とともに、ごゆるりとお楽しみください」
リーフレットには、どこの旅館もおなじような文言が連なり、京焼の器に盛られた料理の写真が並んだ。時を経て、結果はご承知のとおり。温泉旅館の京懐石は衰退の一途をたどり、今ではその地ならではの、宿の個性を生かした料理で競い合うようになった。温泉地にリトル京都を造ったとて、すぐに飽きられてしまうのだが、日本料理なら京都が一番だと決めつけたコンサルたちは、マスコミに後押しされて、ステロタイプの設計図を描いたのだった。
その様子を間近に見てきたせいか、今の流れもおなじように見えてしまう。官民あげてプチ東京レストランを地方に造ろうとしているのだ。かつての高級温泉旅館が、京懐石の夕食を出すということで、宿泊料金を高騰させたように、とがった地方のレストランは、その地で抜きんでた食事代を打ち出している。為替が円安に傾いたままなので、外国人にとっては割安感があり、海外の富裕層にとっては、歯牙にもかけない金額なのだろうが、その地に住まうひとたちにとっては高嶺の花でしかない。
東京一極集中が年々加速するいっぽうで、地方は置き去りにされてきた。そのことを顧みて、地方の活性化に取り組む姿勢は正しいのだが、そのベースとなるのが、東京人が考える美食なのだから、何をかいわんやだ。今風の言葉で言えば、持続可能性があるとは思えない施策である。
一瞬の打ち上げ花火ではなく、長くその地方を明るく照らすには、その地に古くから伝わる習慣や先人の知恵などを生かし、その地に合った郷土料理をアレンジし、現代の嗜好に沿うように地道に改良を続けるのが最良の策だと思うのだが。
突如落下傘で舞い降りてきた店がプチ東京にならないよう願うばかりだ。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2024年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています