かつて日本旅館の夕餉といえば、膳や食卓の上に並びきらないほど、ぎっしりと料理を並べるのが当たり前だった。団体旅行全盛時のことである。
ご馳走の代表として、お造りと天ぷらは決して欠かすことができず、山の中の宿でもマグロの刺し身、冷めきっていても海老天の姿がないと幹事さんの面目丸つぶれ、という時代が長く続いた。
時代は流れ、団体から家族、カップルへと客層が移り変わるとともに、料理も変化していった。
地産地消、季節の味を謳い、一品ずつ料理を供するのが、高級宿のお決まりになった。
どの宿も「経験豊かな料理長」の手による料理とホームページでも書いてはいるが、これまでは一度にご馳走を並べるのが当然だと思い込んでいた料理人が、そう急激に変われるはずもなく、多くの宿ではスタイルこそ変わったものの、中身は以前と似たり寄ったりだ。
真の名宿と、ただの高級旅館とで雲泥の差が出るのが料理。それなりに見てくれのいい建築や設えで誤魔化せても、一定の水準を保つ料理を出し続けるのは極めて難しい。
例えば建築。一からつくらずとも、廃業した既存の施設を、手慣れたデザイナーに委ねれば、客の目を引く宿を容易くつくれてしまう。そこに適当な小道具を配し、その土地らしい設えを施せば、今ふうの高級旅館が出来上がる。
最近の流行は、そこにプラスして、地元らしい体験やアクティビティーをプログラムすること。
そしてこれらを組み合わせることで、インスタ映えする旅館となり、メディアがこぞって採り上げ、すぐさま繁盛旅館となる。近年大人気のリゾートチェーンがその典型である。
そこまではさほど難しくない。難しいのは料理なのだ。今どきのグルメもどきなら簡単に幻惑できても、真の食通を納得させる料理を旅館で出すことは実に難しい。
伊豆修善寺。長い歴史を誇りながら、常に進化し続ける宿「あさば」は、その数少ない宿の代表として、美食家の舌を喜ばせ続けている。
昨今、客室ではなく食事処を設け、そこで食事を提供する宿が増えている。その一つの理由に挙げられるのが、料理を作る料理人と、それを客に出す仲居との連携の難しさだ。
出来上がった料理を、いかにしてスピーディーに供し、かつ、ただの料理説明に終わらず、料理人の思いまでをも、客に正確に伝えられるか。それには相応の熟達度も必要だが、それを指揮する主人や女将が料理に通じていなければならない。
ともすればベテランの料理長の意のままになってしまうのは、主人や女将の料理の知識や経験が乏しいからである。
そこへいくと、この「あさば」。主人の思いが料理人に伝わり、それが仲居にも伝わるという理想の形を生み出している。当然のことながら、それは食べる客にも伝わり、京都の老舗料亭をも凌駕する料理に舌鼓を打つ僥倖に巡り合えるのだ。
アンリ・ジローのシャンパーニュから始まる春の夕餉は、ただ旬の食材を使うだけでなく、洗練の技を加えることで、宿の部屋に春風を吹かせてしまう。
食事処ではなく、客室で食べるからこその安らぎというものがある。わざわざ運んできてもらうというありがたみがそれに加わる。それもベストコンディションで。
春を代表する食材であるタケノコは、素揚げして海苔をまぶされて出てきた。食べ終えると吹墨の皿に今年の干支の犬が愛らしい表情で描かれている。こんな遊び心のある絵付けができるのはあの作家しかいない。そう思って仲居さんに尋ねると、やはり加藤静允(かとうきよのぶ)さんの器だった。
たった一皿の料理、それも先付一つでこの宿の料理がいかに上質かが分かってしまう。
料亭というより割烹に近い料理スタイルがうれしい。余計な飾りつけを排し、吟味し尽くしただろう器に、品よく料理を盛り付ける。その肝心の料理も、極めてシンプルな調理法ながら、味わいはすこぶる深い。
時間をかけて、ゆっくりとお酒を楽しみながら、じっくりと料理を味わう。至福とはこういうときのためにある言葉。
特段、希少な食材を使うわけではない。奇をてらうことなく、食材の持ち味を徹底的に生かし切り、穏やかで深い味わいを生み出す。修善寺「あさば」の優れた料理はまだまだ続く。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2018年6月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています