東と西の違い

食語の心 第38回 柏井 壽

食語の心 第38回 柏井 壽

食後の心 第38回

東と西では、料理にいくつもの違いがある。それは主に調理法であって、たとえば鰻(うなぎ)。

東は武家社会だったから、切腹を嫌って背開きにし、固い骨を柔らかくするために蒸しを入れてから焼いた。
一方で西はと言えば、合理性に基づいて腹開きをし、概ね西日本の鰻は骨がさほど固くないので、蒸さずに直焼きにした。
食べたときの食感も違えば、味わいも異なる。

あるいはすき焼きもそうだ。東はあらかじめ味を調えておいた割り下を使って調味するが、西は砂糖と醤油を使ってその場で味をつける。
食べ始めと、食べ終わるころで味付けを変えるために、西がそうしているのに対して、東はずっと味が変わらないことを好む。つまりは性格によって、料理法が異なるのだとも言える。

呼び名も東と西で異なることは少なくない。
代表的なもので言えば味噌汁。東のほうでは〈おみおつけ〉と呼ぶことが多いようだが、西ではたいてい〈お味噌汁〉。
〈おみおつけ〉の語源について、詳しくは省くが、元々は女房ことばで、御を重ねた丁寧語だったようだ。

〈おしんこ〉という言葉も関西では滅多に耳にしないが、関東ではよく使われている。
〈お新香〉、つまり古漬けではないものを呼んだようだが、今では漬物全般をそう呼ぶことが一般的だ。また〈香の物〉という言葉も、関西ではあまり使わない。

土地柄が生んだ違いも少なくない。たとえば〈肉じゃが〉。関東では多くが豚肉を使うようだが、関西ではたいてい牛肉だ。神戸牛、松阪牛、近江牛など、牛肉の産地が近くにあり、入手しやすかったからだろうと思う。
同じようにカツサンドも、東がほとんどトンカツなのに比べて、関西ではビフカツを使うことが多い。

同じ、肉じゃがやカツサンドという言葉を使って、内容は別ものだったとしても、それは東と西の食文化の違い。互いにそれを否定するようなものではないし、どちらが間違いで、どちらが正しい、というようなものでもないのだが、ときとして、それは間違いである、と指摘されることがある。

小説を書いている。食べることが好きな僕が書くのだから、当然のことながら、食のシーンが多く出てくる。
小説が一冊の本になるとき、必ず校閲さんの手が入る。表記や表現に誤りがないかを調べるのだ。

この校閲さんというのは、各出版社によってまちまちだが、たいていは博学で、細かな部分までチェックしてくれる。いつもありがたく思っているのだが、たまに小さな論争になることがあり、その多くは、東と西の違いだ。

つい最近のこと。〈かけ蕎麦〉の話を書いたときのことである。
関西では、何も具が入っていない蕎麦を、〈かけ蕎麦〉と言わず〈素蕎麦〉と言う。ここからして違うのだが、関東で言うところの〈つゆ〉を、関西ではたいてい〈出汁(だし)〉と呼ぶのである。

つまり関西では〈出汁〉を飲むのだが、東の出版社は、これを間違いだとチェックしてきた。
〈出汁〉は〈つゆ〉の元となるものを言い、蕎麦にかけるものは〈つゆ〉だと主張する。
「えらい旨い出汁やなぁ。こんだけ旨い出汁やったら、最後まで飲み干せるなぁ」
となるのだが、校閲さんの言では、出汁は飲むものではない、となる。

最後は著者の権利として押し通したが、たまにこういうことが起こるのは、出版社の多くが東京にあるからで、こんなところにも一極集中の弊害が出てきている。
かつては、都のある京や大阪の食文化が尊重されたが、今は首都東京がすべての中心になっている。

関東では当たり前のように使われている、あたたかい蕎麦にかける〈蕎麦つゆ〉という言葉だが、関西人にとって〈蕎麦つゆ〉は、冷たいざる蕎麦をつけて食べるものに使う言葉。
「えらい旨いつゆやなぁ。こんだけ旨いつゆやったら、最後まで飲み干せるなぁ」
こう書けば、関西人は間違いなく、冷たいざる蕎麦のことだと思う。互いの食文化の違いを尊重しあうのは当然のことだと思うのだが。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2016年6月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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