世界無形文化遺産に登録されて以降、〈和食〉とは何か、という問い掛けが多く聞かれる。
さまざまな論が飛び交う中、誰もが異を唱えないのは、郷土色豊かな行事食。その代表とも言えるのが、正月料理。おせち料理と雑煮だ。
おせち料理も、かつてはその地方ならではの、個性豊かな料理が並んだが、今ではほとんど全国共通となった。これには明確な理由がある。それは家庭で作ることが激減したからである。
いつの頃からか、重箱に詰めるおせち料理は、デパートや料亭で買うのが当たり前のようになった。秋も深まる頃になると予約が始まり、人気店のそれは早々と完売になる。たとえそれが十万円を遥かに超えていようが、である。
ついこの間まで、どこの家でも、それぞれに正月料理をこしらえたものである。そしてそれは、共に作ることによって、祖母から母、娘へと伝わり、その地ならではの、家庭の正月料理が、正しく伝承されていったのだ。
時代と共に、核家族化が進み、かつ料理の手間を省く風潮が広まったせいもあって、おせち料理は、家で作るものではなく、お金で買うものになってしまった。
我が京都では、今も家で作るところが多く残っていて、我が家も例に違わず、祖母から母、家人から娘へと伝わっている。この事の是非を今さら論じても詮無いこと。ひと度途切れてしまうと、元に戻れないことだけは確かなのだが。
一方で雑煮については、今もって地方色は豊かに残っている。さすがに雑煮まで、出来合いを買うことができないからだろう。
正月の休み明けに集えば、決まってお国の雑煮自慢となる。我が郷の雑煮はカクカクシカジカ、こんな具を入れる。これほど旨いものはない。
いやいやうちの田舎では、斯様な味付けをし、餅は丸餅に限る。これに勝る雑煮などあるはずもない。口角泡を飛ばしての持論が飛び交う。
日本中を旅していると、驚くような雑煮に出会うことがあって、例えば北は八戸で食べた雑煮には、鯨の皮の塩漬けやジャガイモが入っていた。岩手の釜石では焼いたワカサギやイクラを入れ、クルミ醤油のタレを付けて食べるという、変わり種に出会った。
最も驚いたのは山陰地方の日本海沿い。何と甘く煮た小豆と、その煮汁を張った椀に、大きな丸い煮餅がどんと載る。どう見てもこれはぜんざいなのだが、地元の人はこれを雑煮だときっぱり言い切る。これこそが多様な、日本の食文化の象徴。こういうところをもって、世界に誇るべき文化遺産なのだと思う。
かくいう京都の我が家では、白味噌をたっぷり使った汁に、煮た丸餅、金時人参と聖護院大根の薄切りを入れ、花カツオをたっぷり掛けて食べる。京都の古い家では頭芋を入れるが、味がくどくなるので、これを苦手とする向きも少なくない。六歳になる孫も、これを好んで食べる。
多少の変遷はあっても、こうして京都ならではの雑煮が世代を超えて、伝わっていく。日本中きっと同じはず。無形文化遺産として、世界に誇り、守っていくべきは、こういうものなのではないだろうか。
それは何も日本だけに限ったことではないだろうが、同じ料理でも、地方、地方で調理法や味付けが異なるのも〈和食〉の特性である。よく語られるのは東と西の違い。外国人にも知られる料理、寿司、天ぷら、すき焼きなどが、その典型。
例えば寿司。その名もズバリ、東は江戸前握り、西は大阪寿司。
いずれも、発酵食品である熟(な)れ寿司から派生したものだが、東京は豊富な生ネタを、瞬時にシャリと合わせて、指で握り、すぐに供する。俗に早寿司と呼ばれるもの。
片や大阪では、シメ鯖(さば)や玉子焼き、鱧(はも)のすり身、白身魚の昆布〆(こぶじめ)、焼穴子などのネタを、木枠に詰めた酢飯に載せ、蓋で押し固めて、しばらく寝かせる。ひと口大に四角く切り分けて食べる。その形状から箱寿司とも言う。シメ鯖や焼穴子は長いまま酢飯に載せて、竹皮で包んで固める寿司もあり、こちらは棒寿司と呼ばれる。
江戸前握りはシャリに空気を含ませると言い、一貫当たりのご飯は、大阪寿司に比べて遥かに少ない。
せっかちな気性の江戸っ子には、早寿司が似合い、一方、商人の街である大阪では、箱寿司や棒寿司など、数切れも食べれば満腹になる寿司を好む。
寿司ひとつ取っても、それぞれの街によって、大きく異なる。同じ関西でも、京都と大阪で微妙に異なる。次はその話をしよう。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2014年3月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています