海鮮ブーム

食語の心 第92回 柏井 壽

食語の心 第92回 柏井 壽

食語の心 第92回

長い人類の歴史のなかで、幾度となく疫病は蔓延(まんえん)し、その度に手ひどい被害を残していった。
感染学専門の学者によると、地球が滅亡しない限り、ウイルスが絶滅することはなく、疫病の流行は、今後も度々起こるだろうということだった。
どんなに科学や医学が発展したとしても、ウイルスとは共存していくしかないのだとも。ならばその被害と見合うだけの教訓を得なければ、犠牲となった人たちに申し訳が立たない。

今回のコロナ禍は大きな被害を与えたが、いくつかの教訓も与えてくれている。
前回の寄稿で、特別から普通へのススメを書いた。それはあくまで、長く日本に伝わってきた、素朴、かつ日常的な食、という意だったのだが、どうやらそれとは別の意味での、普通の食ブームが起こり始めているようだ。

東京を始めとする、他の地域ではどうなのか分からないが、京都では今、海鮮ものがやたら人気を呼んでいる。その代表とも言えるのが海鮮丼である。港町の魚市場に付属した食堂の人気メニューとして知られる海鮮丼が、なぜか今、京都で人気を呼んでいるのだ。

京都のランチ愛好グループのSNSでの投稿を見ると、かなりの頻度で海鮮丼が登場するようになった。これはここ1年ほどの傾向であって、それまではほとんどなかったと言ってもいい。
おおかたが千円前後で、白ご飯のところもあれば、寿司飯を使っている店もあるようで、共通しているのは、数種類の刺し身がご飯を覆い尽くすように載せられていることだ。

興味深いのはその評価基準で、お造りの切り身が大きくて分厚いほど、枚数が多いほど高評価につながり、「いいね!」やコメントが多くなることだ。これが先に書いた、港町の魚市場のことなら分かるのだが、京都の店の話なのだ。
海から遠く離れた京の街では、新鮮な魚の入手が難しく、それゆえ料理人が技を加えることで美味を生みだし、京料理が発達したというのは知られた話である。

ただ切った刺し身をご飯に載せただけのものは、料理の範疇(はんちゅう)に入らない。心ある京都の和食の料理人なら、誰もがそう思っているはずなのだが、なんとも不思議な現象だ。

その謎を解くカギの一つが、コスパという言葉である。
コストパフォーマンスの略で、以前はプロの間でしか使われなかった言葉だが、最近は自称グルメの人たちが盛んに使うようになり、味や技よりも、料理を評価するときの最優先基準となっているようだ。

たとえば、どんなに細かな技を使っても、あるいは上質な出汁を引いても、素人目にその価値は分かりづらい。秀でた店に足を運び、相当な場数を踏まないと分からないのに比べ、造りの数や厚さなどは、素人目にもすぐ分かる。さらにはSNS上に投稿された写真を見るだけでも一目瞭然だ。

お造りは高価なものだという先入観がある上、スーパーマーケットでも目にしているから、原価が分かりやすい。この価格なら十分もとが取れるということで、コスパがいい、と書くのである。
悲しいかな、その質の良しあしまでは見抜けない。たとえ輸入物の解凍魚であっても、量が多ければコスパよし!になる。

一方で店側からしても海鮮丼を始めとして、お造り系はメリットが大きい。大した手間も掛からず、かつ冷凍保存できるから、ロスも少なくて済む。
となれば少々原価率を上げてボリュームを増やしても、利益は上がる。加えてSNSで紹介され、客を増やすことにつながるのだから、これを売り物にすることを躊躇(ためら)う理由など見つからない。

以前から再三このコラムでも書いてきたが、「映え」という言葉が、食の世界を大きく変えてしまった。
食のプロならいざ知らず、市井の人々には、写真だけで食材の質まで見抜くのは困難だ。ボリュームさえ増やせば、それだけでコスパがいいと判断されるのだから話は簡単だ。
結果、料理人側は技を駆使する必要もなくなり、客の側も細やかな味を気に掛けることもなく、「映え」さえよければそれでよし、となる。

京の海鮮ブームは食の未熟化を予感させ、その一因はコロナ禍にあるとぼくは思っている。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2021年3月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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