いつになく早い梅雨明けに、背中を押されるようにして、令和4年の夏は猛暑の極みとなった。うだるような暑さ、という言葉が陳腐に聞こえるほど、うんざりするような暑さが続く7月。テレビのバラエティー番組などで頻繁に登場したのはかき氷だった。
ここ2、3年だろうか。かき氷はブームの様相を呈し、専門店を始め、多くのカフェやレストランで人気となった。
昭和生まれのぼくなどは、かき氷と言えば夜店や縁日の露店が頭に浮かび、食べると頭がキーンと痛くなり、食べ終えるとシロップの色素で舌が染まったことばかりを思い出してしまう。イチゴ、メロン、ミルクあたりが定番で、かき氷器で削った氷をガラスの容器に入れ、毒々しいまでの色に染まった氷をむさぼり食べた。値段はと言えば、子どもの小遣いで買えるような程度の贅沢だった。家庭の冷蔵庫に付いた、形ばかりの製氷機では、白く濁った小さな氷しかできず、透き通った大きな氷の塊は、子どもの憧れでもあった。
そんなかき氷で育ったぼくから見れば、令和のかき氷は別世界の食に映る。
例によって「映え」狙いだ。かき氷と言いながら、主役は氷ではなく、そこにトッピングされたフルーツや、高級抹茶などを使ったシロップなのだろう。もちろん氷の削り方にもこだわり、滑らかな舌触りや、ふうわりとした食感が流行の中心らしい。
当然のことながら、駄菓子感覚の値段で買えるものではなく、1000円超えは当たり前、2000円近いものもざらにある。にもかかわらず、人気の店にはこれ目当ての長い行列ができるというのだから、時代も変わったものだ。
かき氷に限ったことではないのだが、近年はスイーツと呼ばれる食の値段はうなぎのぼりで、ランチの価格を軽く追い越してしまった感がある。ビジネスマンにとって、1000円超えのランチはハードルが高いが、多くの女性たちは、スイーツ2000円のバーをたやすく越えてしまう。
一日三食という言葉があるように、ランチというものは生きるために必要なものと考えられている。一方で、言うまでもないが、スイーツは嗜好品であり、食べなくても生きていけるものだ。
必須でも不可欠でもないものに大きな価値を見いだし、相応の対価を支払うことを、人は贅沢と呼ぶ。そして贅沢というものが、豊かさの指標となっていることは否めない。つまりはちまたにあふれている令和のかき氷は、食の豊かさを象徴しているとも言えるだろう。飢餓とは対極に存在している食だからだ。
歴史を振り返ってみれば、氷というものの存在は、絶えず食の豊かさを表してきた。
京都洛北(らくほく)に氷室という地があり、そこでは古く平安のころから、冬場の氷を貯蔵し、夏ともなれば、やんごとなき人々に献上され、一服の清涼剤として珍重されたと伝わる。
夏の氷が一般庶民とは縁遠い存在だったのは、我が国においては明治になるまで続いた。幕末になって北海道や信州から氷を運ぶようになったが、それもまた一部の階層の人の口にしか入らず、誰でも氷を食べられるようになったのは、そう古いことではない。少なくとも昭和の中ごろまでは、氷そのものが贅沢品だったと思う。
今でも思い出すのは夏の甲子園。高校野球の地元チームを応援に行く楽しみの一つは「かち割り」という氷だった。透明のビニール袋に、大きめに砕いた氷が入っていて、溶けた氷水をストローで吸う。ただそれだけのもので、味も色も付いておらず、ましてや果物の一片も入っていなかったが、なんとも豊かな気持ちになったものだ。
氷室で保存した時代、夏に氷を口にすることなど一度もなく、一生を終えるのがふつうだっただろう。やがて文明開化とともに、ごく一部ではあっただろうが、夏場に氷を楽しむことができるようになり、家庭にも冷蔵庫が備わるようになり、それも氷式から電気になり、さらには冷凍庫が普及するとともに、誰もが夏に氷を楽しめるようになった。
そして今のかき氷ブーム。食の豊かさの象徴とも言える氷は、時代とともに移り変わってきた。しかしながら心は逆に貧しくなってきたような気がしてならない。次回はそんな話を書こうと思う。
柏井 壽 かしわい ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。