複雑機構の先にある真実

腕時計における不朽の価値とは?エディターにしてミュージシャンでもある異色ウォッチジャーナリストまつあみ靖が、ハイウォッチメイキングの世界をナビゲートする連載第3回。
コロナもやや落ち着きを見せ始めた昨今、スイスから来日した、注目すべき二人の辣腕時計師にスポットを当てる。

Text Yasushi Matsuami

腕時計における不朽の価値とは?エディターにしてミュージシャンでもある異色ウォッチジャーナリストまつあみ靖が、ハイウォッチメイキングの世界をナビゲートする連載第3回。
コロナもやや落ち着きを見せ始めた昨今、スイスから来日した、注目すべき二人の辣腕時計師にスポットを当てる。

関口陽介氏
関口陽介 せきぐち・ようすけ
1980年、群馬県生まれ。高校時代、時計に目覚め、明治大学卒業後の2004年単身スイス及びフランスに渡るも、年齢や国籍の壁に阻まれ時計学校で学ぶことができず、スイス国境に近いフランス・モルトーの時計学校の教官宅に居候し独学、トゥールビヨンを自作できるまでに。苦労の末、就労許可問題などをクリアし、08年ムーブメントサプライヤーのラ・ジュー・ペレ入社。同社初のトゥールビヨンの完成にも尽力。11年から16年までクリストフ・クラーレ社に在籍後、修復に従事。20年初頭、自身の時計製作に乗り出し21年ファーストモデル「プリムヴェール」を完成させる。

シンプルで実直な腕時計づくりを目指して

4月末に「来日」し、13年以来の再会となった時計師、関口陽介氏にも触れたい。9年前、複雑機構のマイスター、クリストフ・クラーレの会社に在籍していた彼を東京で取材した。

ちょうどトゥールビヨン、デテント脱進機、トルクを一定に保つコンスタントフォースを組み込んだ超複雑モデル「マエストーゾ」の製作に取り組んでいた最中。

すでに同社で、磁力を用いて時刻表示する奇想天外なトゥールビヨン「X-TREME」などにも携わっていたが、そのとき彼の手首には19世紀にル・ロックルで活躍した、デンマークにルーツを持つ時計師ユール・ヤーゲンセンのアンティークムーブメントを修復した腕時計があった。

彼が目指したのは、そんなヤーゲンセン・スタイルをベースに、現代の技術でブラッシュアップし、丁寧な装飾を加えた、シンプルで実直な腕時計だった。関口氏は言う。

「複雑機構の現場に立ち会い、見なくていいものを見てしまいました」
見なくていいもの―レジェピ氏が語った「取引」と同じ意味合いだろう。

「ジュネーブやジュウ渓谷の老舗ブランドの時計は洗練されていて美しいのですが、僕からすると誇り高く貴族的で、現実離れしているように感じます。19世紀のヤーゲンセンのムーブメントは、仕上げが素晴らしいのはもちろん、堅牢で無骨で丈夫。飾り気のない信念や、安心感がある」

関口氏を後押ししたのは、奈良でこだわった時計のみを取り扱う小柳時計店代表の小柳和彦氏だった。関口氏の時計製作に心酔していた小柳氏は、40代を迎え心身ともに充実している今こそ、理想を具現化する時だと関口氏の決心を促した。

こうして21年に誕生したファーストモデルが「プリムヴェール」である。今春ジュネーブで行われた新作エキシビション会場に関口氏と小柳氏は足を運び、そこでこの時計を目にしたコレクターから、かなりの反応があったという。

YOSUKE SEKIGUCHI プリムヴェール
YOSUKE SEKIGUCHI
19世紀のヤーゲンセン・スタイルに範を取ったムーブメントは、大型のテンプを備え、手作業で削り出された肉厚な地板やブリッジには丁寧な面取りや仕上げが施され、ある角度から見たとき各パーツが一斉に輝くように計算されている。グランフーエナメルの文字盤、立体感に富んだ時・分・秒針、コンケイブドベゼルを備えたケースも控えめで上品。「プリムヴェール Ref.39RG-WHBL」手巻き、直径39.5mm、RGケース×アリゲーターストラップ、3気圧防水、世界限定5本、8,580,000円。
※SSケース仕様も世界限定5本、7,799,000円。小柳時計店とラ・ショー・ド・フォンの時計店JUVALのみでの取り扱い。
小柳時計店 TEL 0744-22-3853

関口氏とレジェピ氏は、片や日本、片やコソボに生まれながら、ともに時計製造の中心地、スイスの地を踏み、辛酸をなめながら技術を磨き、複雑機構を極め、そこで思うに任せない現実や、嘆かわしい実態に遭遇し、シンプルさの中に時計製作の神髄を見いだすに至る。

複雑機構の先にある真実にたどり着いた二人の時計師が、今後の時計界で特別な存在感を放つであろうことを予言しておきたい。

まつあみ靖 まつあみ・やすし
1963年、島根県生まれ。87年、集英社入社。週刊プレイボーイ、PLAYBOY日本版編集部を経て、92年よりフリーに。時計、ファッション、音楽、インタビューなどの記事に携わる一方、音楽活動も展開中。著書に『ウォッチコンシェルジュ・メゾンガイド』『再会のハワイ』(ともに小学館)ほか。

1 2
ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。