シンプルで実直な腕時計づくりを目指して
4月末に「来日」し、13年以来の再会となった時計師、関口陽介氏にも触れたい。9年前、複雑機構のマイスター、クリストフ・クラーレの会社に在籍していた彼を東京で取材した。
ちょうどトゥールビヨン、デテント脱進機、トルクを一定に保つコンスタントフォースを組み込んだ超複雑モデル「マエストーゾ」の製作に取り組んでいた最中。
すでに同社で、磁力を用いて時刻表示する奇想天外なトゥールビヨン「X-TREME」などにも携わっていたが、そのとき彼の手首には19世紀にル・ロックルで活躍した、デンマークにルーツを持つ時計師ユール・ヤーゲンセンのアンティークムーブメントを修復した腕時計があった。
彼が目指したのは、そんなヤーゲンセン・スタイルをベースに、現代の技術でブラッシュアップし、丁寧な装飾を加えた、シンプルで実直な腕時計だった。関口氏は言う。
「複雑機構の現場に立ち会い、見なくていいものを見てしまいました」
見なくていいもの―レジェピ氏が語った「取引」と同じ意味合いだろう。
「ジュネーブやジュウ渓谷の老舗ブランドの時計は洗練されていて美しいのですが、僕からすると誇り高く貴族的で、現実離れしているように感じます。19世紀のヤーゲンセンのムーブメントは、仕上げが素晴らしいのはもちろん、堅牢で無骨で丈夫。飾り気のない信念や、安心感がある」
関口氏を後押ししたのは、奈良でこだわった時計のみを取り扱う小柳時計店代表の小柳和彦氏だった。関口氏の時計製作に心酔していた小柳氏は、40代を迎え心身ともに充実している今こそ、理想を具現化する時だと関口氏の決心を促した。
こうして21年に誕生したファーストモデルが「プリムヴェール」である。今春ジュネーブで行われた新作エキシビション会場に関口氏と小柳氏は足を運び、そこでこの時計を目にしたコレクターから、かなりの反応があったという。
関口氏とレジェピ氏は、片や日本、片やコソボに生まれながら、ともに時計製造の中心地、スイスの地を踏み、辛酸をなめながら技術を磨き、複雑機構を極め、そこで思うに任せない現実や、嘆かわしい実態に遭遇し、シンプルさの中に時計製作の神髄を見いだすに至る。
複雑機構の先にある真実にたどり着いた二人の時計師が、今後の時計界で特別な存在感を放つであろうことを予言しておきたい。
まつあみ靖 まつあみ・やすし
1963年、島根県生まれ。87年、集英社入社。週刊プレイボーイ、PLAYBOY日本版編集部を経て、92年よりフリーに。時計、ファッション、音楽、インタビューなどの記事に携わる一方、音楽活動も展開中。著書に『ウォッチコンシェルジュ・メゾンガイド』『再会のハワイ』(ともに小学館)ほか。