二大老舗メゾンのケリンググループ離脱劇
2022年に入って間もなく、衝撃的なニュースが時計業界を駆け巡った。ケリンググループが、傘下のジラール・ぺルゴとユリス・ナルダンの2ブランドを擁するソーウインドグループの全株式を両ブランドのCEOパトリック・プルニエ氏が率いる現経営陣に売却、つまりグループからの離脱を発表したのである。
ケリンググループは、グッチ、サンローラン、ブリオーニなどを傘下に持つラグジュアリーグループで、しばしばLVMHと比較される。同グループはジラール・ペルゴを11年に、ユリス・ナルダンを14年に傘下に収め、やや後れを取っていたハイウォッチメイキングに本格的に乗り出した。
以降、両ブランドのデザインはよりモダンにアップデートされ、グループ内のグッチのモデルにジラール・ぺルゴ製キャリバーを搭載するなどのシナジー効果も見られた。パトリック・プルニエ氏は17年にユリス・ナルダン、翌18年にジラール・ぺルゴのCEOにも就任し、こうした動きを加速させていた。
プルニエ氏のキャリアは、なかなか興味深い。英国の酒造企業ディアジオを皮切りに、LVMHのワイン&スピリッツ部門を経て、タグ・ホイヤーの要職を務め、14年にアップルウォッチの立ち上げ特別プロジェクトチームに転じている。
機械式時計とは真逆のデバイスウォッチの世界に飛び込み、アップルUK&アイルランドのエグゼクティブコミッティのメンバーにも就任。その後、ケリンググループ傘下の伝統的機械式ブランドに舞い戻った。
最近、時計業界の新世代ビジネスリーダーに、しばしばスポットが当たる。H.モーザーCEOのエドゥアルド・メイラン氏や27歳の若きタグ・ホイヤーCEOフレデリック・アルノー氏らだが、プルニエ氏もデジタルの世界やマーケティングに通じた一人として名前が挙がる。そんな彼が、巨大グループから2ブランドを引き連れて独立したのだから聞き捨てならない。
ケリングサイドからのリリースには「グループ内で大きな資産となる可能性があり、時間をかけて決定的なサポートを提供できるハウスを優先するケリングの戦略に沿ったもの」との説明がある。まるで2ブランドが切り捨てられたかのようにも読める。
実際、グッチは今春、ジュネーブで独自開催したエキシビションでハイウォッチメイキングを進化させた新作を発表し、“大きな資産となる可能性”を強くアピールした。
こう書くと2ブランドに対して悲観的と思われるかもしれないが、実はウォッチジャーナリズムは、この離脱劇に対しておおむね歓迎の論調だ。
時計業界には、グループに属さない独立した有力ファミリー企業がいくつもある。パテック フィリップしかり、オーデマ ピゲしかり、ショパールしかり。グループ内の力学や投資家の意見に左右されず、長期的なビジョンの下で開発や戦略構築に当たれるのが、独立系ブランドの大きなメリットだ。
今回の離脱劇によって、ジラール・ぺルゴとユリス・ナルダンも、独立ブランドならではの特権を改めて手にするのではないか。そんな期待感が、ペシミスティックな観測を上回っている。
再独立を手にした2ブランドの未来
先日ジュネーブで行われた新作発表会ウォッチズ&ワンダーズ2022に参加したユリス・ナルダンは、調速脱進機と分針とを一体化させた独自のカルーセル機構の「フリーク」や、天文時計「ムーンストラック」のアップデートバージョンを発表した。
ジラール・ぺルゴは参加を見送ったものの、ラグジュアリースポーツウォッチの文脈に位置づけられる「ロレアート」が、かつてない好調な動きを見せている。
ジラール・ペルゴとユリス・ナルダンには、いくつかの共通点がある。創業は片や1791年、片や1846年、ともに屈指の歴史を誇るだけでなく、1980~90年代のスイス機械式時計の復興期から、ルイジ・マカルーソ氏、ロルフ・W・シュナイダー氏というカリスマ経営者の下、独立系マニュファクチュールとして存在感を示してきた。
マカルーソ氏は2010年に、シュナイダー氏は翌11年に相次いで逝去。その後、ケリンググループ傘下となったのはやむを得ない事情もあっただろうが、技術力に秀でた2メゾンが巨大グループの論理に巻き込まれることを危惧する声があったのも事実。
今、再び独立を手にした老舗ブランドは、いかなる価値を生み出すのか? パトリック・プルニエ氏の手腕に、よき時代の2ブランドを知る人たちは、熱い視線を注いでいる。
まつあみ靖 まつあみ・やすし
1963年、島根県生まれ。87年、集英社入社。週刊プレイボーイ、PLAYBOY日本版編集部を経て、92年よりフリーに。時計、ファッション、音楽、インタビューなどの記事に携わる一方、音楽活動も展開中。著書に『ウォッチコンシェルジュ・メゾンガイド』『再会のハワイ』(ともに小学館)ほか。