この原稿を書き始める直前、危惧していた連絡が届いた。この1年半余にわたってT大学で行ってきたゼミを来学期以降、開催してはまかりならん、とのお達しが届いたのである。
正直、「ついに来たか」という感じであるが、これに関連して現在の我が国全体の状況と絡めて私の率直な印象を備忘として書いておこうと思う。
端的に言うと一つにはこのコラムで私が書いている内容が問題視された。我が国には憲法上保障された「言論の自由」がある。大学における「学問の自由」もそのコロラリーなのであるが、T大学における私のゼミについて事実上の「許認可権限」を持っている学生自治会(かつてはあの安田講堂で警察当局と激しい攻防戦を繰り返したことで知られている)は私のこのコラムにおける発言の一部を取り上げ、事もあろうに「公序良俗に反する言論」と断定し、糾弾した。
しかも直接、当方のゼミ関係者に伝えるのだけではなく、全く事実関係を知らぬ部外者に対してもそうした一方的な「糾弾」を拡散する一方、その前に私に対して事実確認すらしなかった。
「公序良俗に反する言論をしている者が、民間の某有名放送局で定例番組を持つことが可能であろうか? 我が国を代表する金融機関主催の年次講演会で並み居る専門家たちと共にパネリストとして招かれることがあるだろうか」
針小棒大とは正にこのことである。しかしとにかく「結論先にありき」の公開処刑であった。学生諸君だけでこれだけのことをしでかすのは相当な勇気がいると見え、どうやら「結論通知文書」を出すために彼らなりに議論を重ねたようだ。
だが、そんなことでは「大人」の目はごまかせない。別の「大人」による結論の提示が先にあり、その理由付けを、哀れな学生諸君が行わされたというのが事の真相であろう。恐らくは極めて陳腐なニンジンを目の前にぶら下げられて。
彼らは言う。「個人の勝手な思い込みや明確な根拠なく言論を展開するような者を、学生自治会として講師に招く企画を学部当局に対して推挙することはできない」と。根拠としてはこのコラムからの引用同様、手前勝手な抜き書きが羅列されていた。
講義における前後の文脈や、その際、受講した学生諸君に対して提示した参考文献やWEB上の資料などは一切省かれている。この大学(といっても私の母校でもあり、彼らは私の後輩でもあるのだが)の法学部卒業生からあの「東京地検特捜部」検事たちが多く輩出されていることを思い出した。多くの冤罪とは正にこのようにしてつくり出されているのであろう。しかも、極めて幼稚かつ無意識な正義感と共に。
私は自らの意思で外務省を出奔して以来、あらゆる意味で「肩書」を捨てた。したがってT大学で行えなくなってもこのゼミ自体は続けるつもりだ。
実際、今の学生たちはコロナ禍でテレワークとしての講義に慣れている。時に夜中であってもZoomで輪講をしてもへっちゃらでついてくる。しかもそもそもゼミの集客もキャンパスの立て看板で、などというのは古すぎるのだ。
InstagramやTwitterを駆使して、多くの学生たちがより集ってくれる。したがってキャンパスそのものの「場」としての機能は著しく低下しており、かつそこで繰り広げられている「講義」「ゼミ」も結局は学びの一つの局面でしかないことを学生たちはすでに十分理解しているのだ。したがって事態そのものが持つインパクトは実はそれほどでもない。
私が「遁走」しながらそれでも思うのは、ただ一つ。「君死にたまふことなかれ」ということだ。今や国家財政をつかさどる財務次官ですら、「我が国のデフォルト」を語る時代である。
T大学を筆頭に大学など、“その時”が来れば吹っ飛ぶのだ。しかし「本当の知」は決して消え去ることはなく、むしろ燦然と輝くのである。しかもそれは君たちの言う、「公序良俗(?)」すなわち既存の象牙の塔の中でだけ通用する、「限定付き科学」とは全く違う、事実そのもの、真実そのものの体系を裏付けとする知である。幼い頭でそれなりに考えたのであろうが、あまりにも浅はかである。
かのT大紛争の際、碩学の「丸山眞男」をつるし上げた、得意げで幼い学生と君たちは全くもって変わっていない。いや、むしろ退化している。なぜならば君たちは大学における「学問の自由」を自らかなぐり捨てたからだ。愚かすぎる。
しかし、捨てる神あらば、拾う神も必ずある。私にとっての遁走とは、近未来を切り開くcommencementの儀式でもある。後悔するのは……私ではない。君たちだ。逃した魚はあまりにも大きい。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。