終わりのない仏像撮影について、彼はこうもつづっている。
「仏像の良さを捉えようとする時、じーっと見ていると、胸をついてくるあるものがある。それを両手で抱えて、そのものを丸ごと端的に表すことを心掛けることが必要だ。(中略)仏像はどこもかしこも規則ずくめで作られた造形物である。造形物であるからといって、形にとらわれては駄目だ。仏像の精神をまっとうに追求することが必要なのである」(『フォトアート』74年4月号「仏像を撮るには」より)
室生寺に始まり、奈良や京都だけでなく、北は青森から南は九州まで、全国100カ所以上の古寺を40年もの歳月をかけて撮影した『古寺巡礼』は、まさに土門のライフワークと言えるものだ。その第一集が刊行されてから、今年で60年。写真家のなかでは随一の名文家としても知られ、幾度となく訪れた室生寺の近隣に暮らす人々との触れ合いを描いたエッセイとともに、今なお多くの人たちの心を捉えている。仏像が現代人の心をつかむのと同じように、土門が見た仏像もまた、色あせることを知らない。その理由は冒頭の土門の言葉にあるように、仏像が日本人の魂というべきものであり、土門の写真はその本質に限りなく迫ったものだからであろう。
終戦の翌年、土門は室生寺の当時の住職、荒木良仙老師と書院で語り合い、長年そこに住む老師にどの季節の室生寺が一番美しいと思うかを尋ねた。老師は「全山白皚皚たる雪の室生寺」と答えたという。ただ、土門が何度冬に出向いても、雪の室生寺に立ち会うことができず、なんとかして撮影したいと思い焦がれていた。それがようやくかなったのは、78年の冬。