土門拳

戦前戦後の厳しい時代から仏像行脚を続け、脳出血で倒れ、車椅子生活となってからも不屈の精神で撮影を続行した写真家・土門拳。仏像の手や足、衣など細部をクローズアップする独自の写真から、土門拳がその目で感じ、瞬間を捉えた仏像と日本人の魂が浮かび上がる。

Text Rie Nakajima

戦前戦後の厳しい時代から仏像行脚を続け、脳出血で倒れ、車椅子生活となってからも不屈の精神で撮影を続行した写真家・土門拳。仏像の手や足、衣など細部をクローズアップする独自の写真から、土門拳がその目で感じ、瞬間を捉えた仏像と日本人の魂が浮かび上がる。

室⽣寺弥勒堂釈迦如来坐像左半⾯相 昭和41(1966)年頃[写真提供/土門拳記念館]
室⽣寺弥勒堂釈迦如来坐像左半⾯相 昭和41(1966)年頃

絶対的なリアリズムを追求した報道写真や日本の伝統文化を撮影し、「写真の鬼」と言われた写真家・土門拳。その彼が初めて奈良の室生寺を訪ねたのは1939年のこと。当時の衝撃を土門はこう語っている。

「たった一回の室生寺行が、ぼくに一大決心をなさしめた。日本中の仏像という仏像を撮れば、日本の歴史も、文化も、そして日本人をも理解できると考えたのである」(土門拳記念館「土門のことば」より)

とりわけ引かれたのは、天平時代の金仏の時代が過ぎ、木像の仏像が造られ始めた弘仁貞観文化の仏像だ。室生寺はその宝庫なのである。

「最初にぼくの心をとらえたのは、弘仁時代の一本造りの仏像だった。内部に鬱積するものを自然に流露させるに至らず、まるで怒っているみたいに苦渋な表情をたたえた弘仁彫刻は、それはそのまま、当時、戦争政策の進行とともに、戦争協力以外のすべての道を閉ざされた日本知識階級の表情とも受けとれた」(土門拳著『古寺巡礼』第一集より)

仏像写真といえば、観光客用の全身写真しかなかった時代のことである。土門の写した仏像は、もの言いたげな表情の顔や口元、ところどころ剥脱した手、流れるような衣のひだ、座禅を組んだ足の裏など、一点一点がこれでもかというほどクローズアップされている。むろん全身もあるのだが、それとともに無数のド迫力のパーツ写真があることで、土門の目が何を見て、何を感じ、何に魅せられたのかが伝わってきて、同じ空間で仏像に相対しているかのような興奮に襲われる。

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ラグジュアリーとは何か?

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