日本で出合えるライト建築 自由学園明日館

日本には、ライトの設計した名建築が当初の姿のまま残っている。これは、本国アメリカ以外では日本しかない。3つある「百年建築」のうち、今回は東京 池袋の「自由学園明日館」をご紹介しよう。

Photo Satoru Seki Text Junko Chiba

日本には、ライトの設計した名建築が当初の姿のまま残っている。これは、本国アメリカ以外では日本しかない。3つある「百年建築」のうち、今回は東京 池袋の「自由学園明日館」をご紹介しよう。

自由学園明日館

自由学園明日館は都心にありながらも、そこだけ別世界のよう。住宅街にあって際立つ、颯爽としたたたずまいだ。

自由学園明日館 1922年頃の外観
1922年頃の外観。羽仁夫妻が創刊した月刊誌『婦人之友』で一期生を募集し、26名の女学生が未完成の教室で入学式を行っ た。22年に中央棟・西教室棟、25年に東教室棟、27年に講堂が完成する。
写真提供:自由学園明日館

ここは1921年に日本初の女性新聞記者として知られる羽仁もと子と吉一夫妻が、女学校として開校した建物だ。
夫妻の友人だった建築家の遠藤新が、当時帝国ホテルの設計のために来日していた師匠のライトを紹介したことで、建築が実現した。

  • 自由学園明日館 食堂自由学園明日館 食堂
    羽仁夫妻の教育理念の下、当時の学校建築にはめずらしく、食堂が校舎の中心に設計された。
  • 自由学園明日館 入り口自由学園明日館 入り口
    幾何学的に配された木製の窓枠や桟の意匠が印象的な入り口。
  • 自由学園明日館 外廊下自由学園明日館 外廊下
    外廊下は列柱の間から光が差し込み美しい陰影を生み出す空間。
  • 自由学園明日館 ホール自由学園明日館 ホール
    前庭に面した大きな窓から光が降り注ぐホールは女学校当時、毎朝の礼拝に使われた。

ライトは自由と自治を尊ぶ学園の教育理念に深く共感し、設計を快諾したと伝えられる。
軒高を低く抑えて水平ラインを強調した立面といい、幾何学的な建具の装飾といい、大谷石を多用したところといい、まさにライトの作風を示す。

着工から1年後の22年には中央棟・西教室棟が完成したが、ライト自身はこの時点で帰国した。
東教室棟は遠藤が師の仕事を引き継ぎ竣工させた。当初の計画になかった講堂は遠藤による設計である。

学園は生徒数の増加により34年に東久留米市に移転。建物は97年に国の重要文化財に指定され、3年を要した大規模な保存修理工事の後、「動態保存」のモデルとして、さまざまな用途に使用されている。

⒣自由学園明日館
東京都豊島区西池袋2-31-3
TEL 03-3971-7535
jiyu.jp

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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